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神社の由来書きによると「慶長十五年、堀川堀割りの御普請惣奉行羽柴正則御普請成就を祈願」とある。堀川開削にあたり、福島正則がこの神社に工事の成功を祈願したのだ。
神の加護が有ったのか、堀川は無事竣工した。だが堀川により洲崎神社の境内地は大きく削られてしまった。
『那古野府城志』にはこう書かれている。
「境内元今の水主町に至れり、今水主町八角堂の入口に所在の清水は、即当社の御手洗の神水也、其辺椋榎樫松の林なりし故、椋(むく)の森と云ひし由」。
かつては水主町(現:名駅南二丁目)の八角堂前に湧き出す清水が神社の御手洗だったが、堀川で分断され境内ではなくなってしまった。残念に思った神主が、享保9年(1724)に石碑を建立した。この石碑は、今は八角堂の境内に立っている。
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八角堂にある「広井天王みたらし」(洲崎神社御手洗)の石碑 |