専売所・金山体育館・市民会館
市民会館の変遷
 金山駅の北に市民会館がある。大きな建物でコンサートなど色々なイベントに使われるおなじみの施設だ。この広い敷地は、明治以降に色々な公共施設が立地してきた歴史を持っている。

    名古屋専売局   金山体育館   名古屋市民会館



名古屋専売局
◇日清戦争後……葉タバコの専売
 明治27~28年(1894~5)の日清戦争後の財政難から、政府は煙草の専売制による税収の確保に乗り出した。
 明治29年(1896)に「葉煙草専売法」が公布され31年(1898)1月から施行された。これは、農家が栽培した葉煙草はすべて政府が買い上げ、民間の煙草製造業者へ販売する制度である。施行の前年である30年4月に名古屋には煙草専売局(37年に名古屋専売局へ改称)が東古渡町に設置されている。

 この時代、全国各地で煙草の製造が行われ、明治30年(1897)頃は5,000もの事業者がいたという。


金山駅も路面電車もない
『名古屋及熱田市街実測図』
明治33年
◇日露戦争勃発……タバコの専売
 明治37年(1904)2月に日露戦争が勃発した。多額の戦費をまかなうために7月に「煙草専売法」を施行し、煙草の自家栽培・民間での煙草製造を禁止し、すべて政府が行うことにした。

◇大正4年(1915)……専売局の建替
 大正4年(1915)に名古屋専売局の建て替えが行われた。建築工事を請け負ったのは、大正2年(1913)に納屋橋の架け替えを行った栗田組である。

◇タバコ……専売公社、日本たばこ産業へ
 戦後、昭和24年(1949)に大蔵省から専売公社へ業務が移管され、さらに60年(1985)に日本たばこ産業が業務を承継して現在に到っている。
   

改築された専売局舎 大正4年

大津通ができ、路面電車開通
『名古屋市街全図』 大正6年




金山体育館
 名古屋専売局は太平洋戦争の戦火で全焼し、戦災復興計画で金山は盛り場にすることになり大曽根(現:ナゴヤドーム西のイオンモールなどのある土地)で再興された。

 金山の跡地には昭和25年(1950)の名古屋国体に向けて体育館が建設された。
 ここでは33年(1958)から39年(1964)にかけて大相撲の名古屋場所が開かれている。暑いさなかの興業だが、冷房がない時代なので通路に氷柱を置いたり、酸素ボンベから酸素を放出したりしたエピソードが伝わっている。
 また、力道山が最後の試合をしたのもここであった。昭和38年(1963)12月6日、力道山・豊登×デストロイヤー・オースチンのタッグマッチが行われた。2日後の8日に、力道山は赤坂のナイトクラブで暴力団員に刺されて15日に亡くなっている。


『名古屋市全図』 昭和30年頃

力道山 最後の試合
  中央が力道山、左がデストロイヤー、レフリーは沖識名
『名古屋情熱時代』




名古屋市民会館
 金山体育館は、施設の老朽化と熱田区六野に名古屋市体育館の建設が進められていることから、昭和43年(1968)に解体された。
 その後、昭和47年(1972)10月1日に、人口200万人突破記念として金山体育館跡地に名古屋市民会館が開館した。約2300人収容の大ホールをはじめとして、中ホールやリハーサル室、会議室などを備える名古屋屈指のイベント会場として様々な事業に利用され、文化発信の拠点となった。

 それから半世紀近く経過し施設の老朽化が進んできたため、2027年の開館を目指して現在建替計画が進められている。




 2021/07/21