江戸時代は、家はむろんのこと橋や杁なども木で造られていた。 河口に白鳥御材木場があり艀輸送の便が良い堀川岸には、藩の御作事方役所・御普請方役所があり、ここ古渡橋のたもとには杁御作事場が設けられていた。 |
古渡橋東南に杁御作事場(杁方役所)があった。 杁は用水や排水を調節するゲートとその関連施設のことで、ここで公用の杁の製造や修繕などを行っていた。 杁奉行が初めて置かれたのは享保12年(1727)で、1800年頃には手代10人と足軽6人が奉行の配下で働いていた。その他、多くの職人が働いていたようで、『松濤掉筆』に描かれている東本願寺周辺の絵を見ると、ここから500mほど離れている東本願寺の南西に、杁棟梁が青山彦八など3名と杁方手代の服部与三郎の住まいが記載されており、配下の職人もたくさん近辺に住んでいたと思われる。 |
|||
『元文3年名古屋図』 1738 |
『古渡村絵図』 |
『松濤掉筆』 |
2021/08/03 |
|