不二見焼
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藩士の村瀬八郎右衛門が嘉永5年(1852)頃から趣味で焼き物を作り始めた。 |
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その息子である亮吉が明治12年(1879)に上前津の別邸に窯を築いて、瀬戸から招聘した陶工4人と父子の6人で製陶業を開始。初期は大池(鞠ヶ池)で取った陶土を使い茶器や食器を製造した。その様子は明治21年(1888)刊行の『尾陽商工便覧』に掲載されている。
その後徐々に拡張して明治33年(1900)には職工が13人に増えている。
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『尾陽商工便覧』 明治21年
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明治41年(1908)に丸太町で不二見焼(資)が設立された。作られたのはそれまで富士見で焼かれたものとはまったく異なる阿蘭陀(おらんだ)焼に似た硬質陶器である。だが大正(1912~)になるとその製造は終わってしまった。
代わりに作られたのはタイルである。日本にタイルが入ってきたのは明治39年(1906)頃で、イギリスから商品見本として神戸の貿易商に送られてきた。これを不二見焼の村瀬二郎麿がみて将来有望な事に気がつき、苦労を重ねて試作研究して41年(1908)に製造に成功した。
タイルは好評で、大正7年(1918)には佐治タイルが設立されるなど製造者が増え、販路は海外へも広がっていった。
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