堀川西岸に建つ法蔵寺は、通称八角堂と呼ばれている。境内に八角形のお堂があるからだ。このお堂は、名古屋城の二の丸にあった聖堂を移築した建物だ。残念ながら戦前に火災で失われたが、近年再建されユニークな姿を今に伝えている。 |
通称「八角堂」 法蔵寺 | 広井天王みたらし |
広井天王みたらし |
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法蔵寺の南東、堀川対岸に鎮座する洲崎神社は、名古屋の町が出来る以前はこのあたりまで境内が広がっていた。 『名古屋府城志』には次のように書かれている。 「境内元今の水主町に至れり、今水主町八角堂の入口に所在の清水は、即当社の御手洗の神水也、其辺椋榎樫松の林なりし故、椋の森と云ひし由」 水主町まで続いていた洲崎神社の広い境内が、堀川の開削によって分断され縮小されてしまった。 洲崎神社の由来書きによると「慶長十五年(1610)、堀川堀割りの御普請惣奉行羽柴正則御普請成就を祈願」とある。 堀川開削にあたり、羽柴(福島)正則がこの神社に工事の成功を祈願したのだ。 神の加護が有ったのか、堀川は無事竣工した。だが堀川により洲崎神社の境内地は大きく削られてしまった。かつては水主町(現:名駅南二丁目)の八角堂前に湧き出す清水が神社の御手洗だったが、堀川で分断されてしまったのだ。 |
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残念に思った神主が、享保9年(1724)に石碑を建立し、今は八角堂の境内に「廣井天王みたらし」と刻まれ立っている。 |
2021/12/17 |
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