守山区の庄内川岸にある松洞山大行院龍泉寺は、天台宗山門派の寺で尾張四観音の一つとして知られている古刹である。 永い歴史に裏打ちされた魅力的なスポットがたくさんあり、一度は訪問したい寺である。 |
伝教大師が創建 | 弘法大師も龍神に出会う | その後の変遷 | |
魅力あふれる境内 | 賑わう龍泉寺 |
◇節 分 現在も各地の寺や家庭で行われている行事だ。 尾張四観音(しかんのん)といって、名古屋城を中心に四方にある古くから観音を祀る4か寺が有名である。 そのなかでも、名古屋城から見てその年の恵方に当たる寺はとりわけ多くの参拝者が集まる。恵方は笠寺観音(笠覆寺)・龍泉寺・荒子観音寺・笠寺観音・甚目寺の順に5年で1回りする。 『尾張名所団扇絵』などに、龍泉寺の節分風景が描かれている。 |
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龍泉寺節分詣 『尾張名所団扇絵』 |
龍泉寺恵方参 『名陽見聞図会』 |
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◇馬之塔(おまんと) この地方特有の神事に馬之塔がある。馬を連れて神社や寺に参拝するのだ。 馬は標具(だし)と呼ぶ趣向を凝らした豪華な飾りを背に乗せていることが多く、これは本馬と呼ばれた。時には薦(こも)を巻いただけの俄(にわか)馬が奉納されることもある。 祭礼や雨乞いなどの時に奉納されたが、尾張四観音と大須観音では毎年5月18日に奉納される習慣だった。 龍泉寺にもたくさんの馬之塔が献じられた。 『尾張年中行事絵抄』にその様子が次のように書かれている。 |
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近隣の村はもちろん、遠方では篠木庄(現:春日井市・小牧市の一部)からも来た。瀬古村の馬之塔は飾りが大きく「大ばれん」と呼ばれ有名だった。 篠木33ヶ村からの馬之塔は、馬数も人数も多いことで有名だ。密蔵院(現:春日井駅東、吉根橋北)に集合し、その南で庄内川を渡った。ここは川幅が広くなっているところだ。渡るところでは、多くの人が川に入って馬を囃したてて渡らせた。まるで地上で踊っているような様子だ。馬之塔のかざりは華麗で川の水を彩り見事なもので、この様子は他に類がなく壮観である。 |
龍泉寺馬之塔会 篠木川馬渡之図真 『尾張年中行事絵抄』 |
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なお『守山市史』には「龍泉寺参詣のため、縁日には対岸の下津から裏坂への渡しがあり、善男善女の往来で賑わっている。」と書かれている。 ◇風光明媚な場所 庄内川に面する高台に建つ龍泉寺は、風光明媚な場所として親しまれていた。 『尾張年中行事絵抄』には次のように書かれている。 「此寺の後は、山のきりきしにして、西北の眺望、いふばかりなし。西には金鱗の光あざやかに見へわたされ、北に遠くは信濃三の数山、近くは白帝城及び尾北の山々里郷も、ことことく眼下につらなり、勝川の流水は、紺青をそゝぎたるに似て、河原の真砂路は、白粉をしくかとうたがわる。寸馬、豆人の往来ふさま、実に濃(こまや)かなる美景なりける。……中略……此山は清水寺の舞台より とんだ興ある春げしきかな」 また『尾張名所図会』には次の記載がある。 「當山は勝川の流に傍ひたる山岸にて、書院及び本堂の後なる裏山より、西北の眺望いふばかりなく、西に金鱗の光あざやかにして、小牧山・尾張不二・本宮山はさらなり、尾北をはじめ、近國の連山波濤をなし、近くは勝川の緑水清冷にして、広野の平遠なる篠木の村落、平面に石を下せるが如く、寸馬豆人の往來ふさまゝで、風光他に増りて、實に城東第一の絶景、雅俗帰路を忘るゝの勝地なり。しかのみならす、此山は龍の御山とて和歌の名所なり。」 現在も鐘楼から北を見ると、昔のような自然豊かな風景ではないものの、庄内川を挟んで広大な景色が楽しめる景勝地である。 |
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龍泉寺裏坂の眺望 『尾張名所図会』 |
『絵葉書』 「松ヶ丘の絶勝西の方 庄内川を望む」 時期不明(昭和戦前?) 中央上の橋は松川橋? |
2024/12/20 |
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