珍しい神社名
間黒神社

 古川を挟んだ南北に境内が広がる間黒神社。境内に川があるのも珍しいが、神社名も他にはほとんどない名前だ。静かな境内にはかつて幸心村の各地に祀られていた神社などが遷座し、落ち着いた雰囲気を醸している。

    間黒神社   社名の由来は?   B29 墜落
    御嶽教 霊神碑 (現:撤去)    



間黒神社

 間黒(まぐろ)神社の創建は、『東春日井郡誌』に「社伝明らかならず」と書かれ不明であるが、旧社格は村社である。
 創建の時期は不明であるが、『尾張徇行記』に「前々除」とあるので、慶長13年(1608)の備前検地以前から存在しており非課税地扱いだったことが分かる。

 祭神は、須佐之男(すさのお)命・大山祇(おおやまづみ)神・市杵島比売(いちきしまひめ)命・多紀理比売(たきりひめ)命・多紀津比売(たぎつひめ)命・天照大御神の6柱だ。数が多いように思われるが、大山祇神以下の5柱は他から遷座してきた神様である。
 『尾張徇行記』の幸心村の記述には「社五ケ所 天王・神明・白山・山神・弁才天 界内三反四畝前々除」とあり、間黒神社の名前は出てこない。村絵図を見ると間黒神社の所には氏神社と書かれ、南隣に神明社があり、山神社・弁天社・白山社は村内に散在している。

 『徇行記』に書かれている天王社(牛頭天王=須佐之男命)が氏神社で、現在の間黒神社の元だ。
 明治11年(1878)に村の北の方にあった白山神社〔菊理比売(くくりひめ)命=白山比咩(しらやまひめ)神〕がここへ遷座してきた。
 44年(1911)に山神社(大山祇神)と市杵島社を合祀した。市杵島社は『徇行記』に書かれている弁財天社である。明治になり神仏分離が行われ、弁財天は宗像(むなかた)三女神とされた。市杵島比売命・多紀理比売命・多紀津比売命の3柱もこの神社に祀られることになったのである。
 さらに大正2年(1913)に神明社を合祀し(祠は前の場所のまま)、天照大御神も祭神に加わった。間黒神社は境内を古川が横切り、橋を渡って拝殿に向かう。橋の名は、間黒橋と思いきや神明橋である。橋の南はかつての神明社境内だったからである。

 本殿左に御嶽神社と津島神社、右手に秋葉神社・金比羅神社・奥山半僧坊・白山神社、少し離れて山神社が鎮座している。

 
拝殿
(正面には見事な龍と虎の彫刻)


本殿は石積の上


御嶽神社・津島神社


秋葉神社・金比羅神社
・奥山半僧坊・白山神社


山神社


神明社



社名の由来は?
 社名の「間黒」は珍しい名である。
 弘化3年(1846)に描かれた『幸心村絵図』を見ると神社南西の字名が「まぐろ」である。字名から神社名を付けたのか、神社名が字名になったのかは判然としない。

 北区に杉ノ宮がある。ここは明治39年(1906)に神明社に八幡社が合祀され、その時に神社があった村の名前「杉村」から「杉ノ宮」の名が付けられた。間黒神社も明治11年の白山社合祀の時に字名の「まぐろ」から「間黒神社」になったのかもしれない。


『幸心村絵図』

 ちなみに北区に文字は異なるが発音が同じ「真畔町」がある。
 この町名の由来について『城東耕地整理組合第七工区記念帖』には次のように書かれている。
 〔此地方ヲ俗称「まぐろ」ト呼ビ何ノ意ナルヤヲ知ラス。
 常陸國茨城郡ニ間黒ノ村名アリ。新志云『巡廻ハ當ニ女具利トヨムベシ、女具利ハ麻具呂ト卿談相近ク、且ッ間黒、箱田、片庭等ノ村落ハ皆山ノ廻ニアリ』ト、之レ當地ノ地形ニ相似ズ、土地平坦ニシテ畦畔縦横区画整然タリ、故にニ俗称「まぐろ」ヲ眞畔ニ當ハメ、以テ古称ヲ遺存セントス。〕
 北区の真畔町あたりは俗称「まぐろ」と呼ばれていた。茨城県に間黒村があるが、そこは山を巡るように集落があり、「めぐり」が転じて「まぐろ」という村名になったというが、北区の「まぐろ」は平坦地で区画も整然としており一致しない。まぐろの由来ははっきりしないが、旧名を残すため「真畔」の字を充てて町名にしたとのことである。

 幸心村の「まぐろ」は一体何から来たのであろうか。


B29 墜落
 昭和20年(1945)4月7日、米軍の爆撃機が白昼大挙して名古屋空襲を行った。狙いは三菱発動機大曽根工場である。
 『名古屋空襲誌』によると、午前9時14分から12時57分まで空襲警報が出され、182機(約150機とも)が来襲して732㌧の爆弾を投下した。三菱発動機は壊滅的な被害を受け、その後爆撃の目標にされることはなかったほどである。

 三菱だけでなく、北・東・千種区内にも被害が及び、死者702名が出た。
 この時、高射砲により撃墜されたB29が守山に墜落した。機体は2つに分解し、前部は瀬古の集落に墜落して家々に火災を引き起こし、後部は間黒神社の古川に架かる新明橋の所に落ちた。その傷跡が橋に残されていた。平成20年に橋の架け替えが行われ、旧橋の一部が境内の東端に今も保存されている。


○印が、B29がぶつかり破損したか所



御嶽教 霊神碑 (現:撤去)
 間黒神社東隣の地に、かつては御嶽教の霊人名を刻んだ石碑がたくさん建っていたが、現在は撤去され貸駐車場になっている。


平成23年 撮影




 2025/01/17