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下街道の脇に小さな社と、お地蔵さんを納めた祠が建っている。 かつての人々の暮らしと宗教は密接な結びつきがあった。村人は田畑への行き帰りに、旅人は急ぐ足を止めて神仏に無事を祈った。そんなことを感じさせるのが、この路傍の祠である。 |
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庄内川を渡って、下街道は瀬古に入る。勝川橋の南で国道19号のすぐ西1本目の道が下街道だ。車が溢れる19号の近くとは思えない静かな生活道路になっている。 勝川橋南交差点のすぐ西の下街道に社と地蔵を安置したほこらがある。 |
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社の少し開いた扉から「大国霊神社」と書いた御札が見えている。 国霊神社はその土地を神格化した神で、国の平安と豊かな実りを司る神だ。尾張大国霊神社は国府宮である。 近くに置いてある看板を見ると津島神社も祀られているようだ。津島神社の祭神は素戔嗚尊(神仏習合:牛頭天王)で疫病除けの神として信仰を集めた。この場所は、かつての瀬古集落の北端だ。村へ厄災が侵入せず、安らかで豊かな生活を祈って、村の入口に社を祀ったのであろう。 現在、高牟神社に祀られている津島社は、かつて下街道の瀬古村南の入口に祀られていた。村の北と南で二つの津島社が疫病が村へ入ってくるのを防いでいたのである。 左の祠に立つ地蔵には、はっきりとは見えないが「左 ぜんこうじ道 右 里うせんじ道」と刻まれている。 この位置で左へゆくと名古屋に行ってしまう。元々ここにあったのではなく、よそから移されたものだ。下街道から竜泉寺に向かう道が分かれる所の北東角に立っていたはずだ。昔の地形図を見ると、この辺りで分岐して竜泉寺に向かう大きな道はないが、庄内川の堤防道路を通ると竜泉寺に行ける。堤防に立って道案内をしながら道中の安全を守っていた地蔵が、国道19号の拡幅か河川改修によりここに移されたのであろうか。 |
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