熱田前新田中ノ割の元宮
龍 神 社
 土古公園の南東すぐの所に、龍神社がある。熱田前新田の開発にあたり創建されたといわれ、その後の発展の足跡を伝える開発150周年、165周年、200周年の碑が建っている。この神社は新田中ノ割地区の本宮で、町名の元にもなっている。




◇干拓工事開始時 創建
 龍神社の創建は熱田前新田の干拓が始まった寛政12年(1800)で、旧社格は村社である。

 昭和24年(1949)に建立された「創始百五十周年」碑によると、寛政12年(1800)に熱田前新田の工事開始にあたり綿津見(わたつみ)命を勧請し、13年(1801)に工事が完成するとこの神社を新田の本宮として龍神社の名で祀ったとのことである。境内には平成11年(1999)に建てられた「創始弐百周年」碑もある。
 なお創建年は「愛知県神社名鑑」では寛政11年(1799)で、港区役所のホームページでは享和元年(1801)の創建になっている。

◇熱田前新田中部の本宮
 熱田前新田開発にあたり、東ノ割(中川運河から東)に稲荷社、中ノ割(中川運河から荒子川)に龍神社、西之割(荒子川から西)に神明社がそれぞれの氏神として祀られた。

 本殿右に昭和40年(1965)に本宮町の住民により建てられた「熱田前新田開発百六十五年記念碑」がある。

◇戦死者顕彰の碑
 また、本殿左には、「忠魂碑」と「神国之碑」が建てられている。
 忠魂碑は「陸軍大臣宇垣一成(かずしげ)書」とある。宇垣が陸軍大臣だったのは、大正13年~昭和2年(1924~1927)と昭和4年~6年(1929~1931)の2回だ。裏面には碑建立の発起者名とともに、昭和15年(1940)の戦死者名も彫られているので、建立は在職中ではなく少し後ではないかと考えられる。

 「神国之碑」は、表面に日露戦争戦死者3名、支那事変戦死者4名、大東亜戦争戦死者44名の名が刻まれている。裏面には建碑の辞として、「戦後は国情の混沌と家族制度の変化により、殉国者への崇敬の念が薄れたので功績を顕彰するため碑を建てる」との趣旨が記され、昭和33年(1958)に神社奉賛会と本宮町内の人々により建立されている。

 この神社は熱田前新田中部の本宮なので、付近の町名は「本宮(ほんぐう)町」になっている。


拝 殿。
右に「創始百五十周年」碑
左に「創始弐百周年」碑


「熱田前新田開発
百六十五年記念碑」


左:「忠魂碑」 右:「神国之碑」





 2023/01/01