堀川にかかる紀左ヱ門橋から港新橋にかけての左岸は木場町である。かつてこのあたりには広大な名港貯木場があり、木材の街だったことからこの名が付けられた。 |
大正元年の台風 | 台風後 養魚場から貯木場へ | 群を抜いて大きな貯木場 | |
戦後まで活用 |
戦後まで活用 |
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その後、昭和3年(1928)に県営八号地貯木場が完成した。14万4000坪で140万石の収容能力を有しており、名港貯木場は2位になっている。 昭和15年(1940)に名港土地は貯木場を利用者に分譲し、道路や水門の管理会社として(株)名港貯木場を設立してて解散した。 その後も長く貯木場は活用され、昭和58年(1983)の地図を見ると、貯木池が縮小はしているがまだ相当の規模で残っている。 地図に記載されている中村合板は、日本で初めてベニヤ板を製造した浅野吉次郎の銅像が、合板誕生50年を記念して昭和32年(1957)に設置された場所である。銅像は57年(1982)に中川区の合板会館に移され、現在は東京の新木場にある木材・合板博物館に置かれている。 しかし木材産業の衰退と共に埋め立てられ、今ではかつての面影は全く見られなくなった。 わずかに木場町の名前が、この地域の昔の姿を伝えるだけである。 |
『最新名古屋市地図』 昭和58年 |
2023/10/15 |
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