木材産業を支えた

名港貯木場
 堀川にかかる紀左ヱ門橋から港新橋にかけての左岸は木場町である。かつてこのあたりには広大な名港貯木場があり、木材の街だったことからこの名が付けられた。

    大正元年の台風   台風後 養魚場から貯木場へ   群を抜いて大きな貯木場
    戦後まで活用    



大正元年の台風
 名港貯木場を経営していたのは、明治45年(1912)に設立された名港土地(株)である。
 五号地南寄りで養魚場を経営していたが、大正元年(1912)の台風で堀川の堤防が決壊して被災し、貯木場に変更することにした。

◇大被害をもたらした 大正元年の台風
 大正元年(1912)の台風は、後の伊勢湾台風に迫る強烈なもので大きな被害を引き起こした。
 9月22日の夜9時頃から、翌23日の午前9時にかけてこの地方を襲い、風速が40mに達し、最高潮位が4.7mにまで上がった(伊勢湾台風は5.31m)。熱田駅より南の地域や南部埋立地は床上90㎝まで水に浸かり、堀川が東築地で決壊している。
 稲永新田で死者30名が出たのをはじめ、堀川河口に建設され開業直前だったレジャー施設の南陽館は、木造5階建ての建物が崩壊して6人が圧死するなど各地で多数の死者を出した。



散乱する木材

 この時期は北海道や樺太などからの木材移入の最盛期であり、10万本余の木材が名古屋港一帯に流出し、護岸や建物などに激突して被害の拡大を招いた。このような大災害の経験から貯木場の整備が社会的な課題となり、養魚場の復興ではなく貯木場へ業種を変更することになったのである。



台風後 養魚場から貯木場へ
 同じ五号地の北寄りには日本缶詰(株)が経営する養魚場があったが、ここも大正元年(1912)の台風で池は泥沼になり貯木場にすることにし、翌2年(1913)1月から建設を始めた。

 貯木場には筏を引き込む水路が必要なので両社で協力して開削し、大正2年(1913)11月に完成した。
 日本缶詰の貯木場は3年(1914)に完成し、熱田貯木場と命名されて市内の有力材木商が借りて経営し始めた。名港土地も一号池・二号池を三~四年(1914~5)にかけて整備して貯木場が完成した。

 大正7年(1918)になると日本缶詰は一切の権利を名港土地に譲渡し、以後は名港土地が全体を名港貯木場として経営している。
 引込水路より北の旧名古屋缶詰の池は「北池」、南の名港土地の池は「南池」と呼ばれた。7年(1918)10月と10年(1921)7月に拡張工事が行なわれ大貯木場になった。

※地図に「中央製材工場」が記載されているが、大正5年(1916)に創立された会社で製材と製函を行う大手企業である。
 昭和15年(1940)発行の地図『大名古屋市』には、永田合板会社・近藤組木工部・名古屋製箸所・北海木材会社・明治製材会社・熱田製函会社が記載され、多くの木材関連会社がこの地へ進出してきた。


『名古屋市全図』 昭和4年



群を抜いて大きな貯木場

 『名古屋南部史』によると、大正14年(1925)には次の貯木場があり、名港土地の貯木場は群を抜いて大きなものである。

  
所 有 者 所 在 地  面積(坪)   収容能力(石)   貯木方法 
名港土地(株) 東築地(五号地) 130,000 1,000,000 水面
加福土地(株) 笠寺町 (加福新田) 70,000 600,000 水面
帝室林野局 熱田西町(白鳥) 47,000 250,000 水面・陸上
 尾三市場倉庫(株)  八熊町(瓶屋橋西) 38,000 300,000 陸上・水面
鈴木摠兵衛(材惣)  西古渡町(古渡橋北西)  3,200 350,000 水面
      ※材惣の貯木場は面積に比べ収容能力が異常に大きいが、出典ではこの数値になっている。
      ※1石:30㎝角で3mの木材



戦後まで活用
 その後、昭和3年(1928)に県営八号地貯木場が完成した。14万4000坪で140万石の収容能力を有しており、名港貯木場は2位になっている。
 昭和15年(1940)に名港土地は貯木場を利用者に分譲し、道路や水門の管理会社として(株)名港貯木場を設立してて解散した。

 その後も長く貯木場は活用され、昭和58年(1983)の地図を見ると、貯木池が縮小はしているがまだ相当の規模で残っている。
 地図に記載されている中村合板は、日本で初めてベニヤ板を製造した浅野吉次郎の銅像が、合板誕生50年を記念して昭和32年(1957)に設置された場所である。銅像は57年(1982)に中川区の合板会館に移され、現在は東京の新木場にある木材・合板博物館に置かれている。

 しかし木材産業の衰退と共に埋め立てられ、今ではかつての面影は全く見られなくなった。
 わずかに木場町の名前が、この地域の昔の姿を伝えるだけである。


『最新名古屋市地図』 昭和58年




 2023/10/15