春日山古墳
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白山神社の300m西にある墳長74mの前方後円墳である。
昔は白山神社の神輿渡御が行われていたが、寛延年間(1748~51)に御旅所古墳への渡御に変わった。
保存状態が悪く史跡等に指定されておらず、現在は春日山公園として整備され遊具などが設置されている。
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◇ 道 標
公園の北東隅に供養塔を兼ねた道標が建っている。元は稲置街道(古墳の一本東の道)に建っていたと考えられる。
「三國傳来 釈迦如来」「爲釈了思信士 妙順信女 江戸桜田和泉町 尾張屋松五郎」「是より十八丁 常安寺」「天保7年丙申二月十五日」と彫られている。約2㎞先の常安寺を案内する標石で、1836年に建てられた。
常安寺は豊山町役場の南西すぐの所にある。この寺は、弘仁3年(812)に現在の名古屋空港の場所に空海が創建した観音寺が始まりである。しかし、保元・平治年間(1156~60)頃、兵火で焼失して衰退した。その後、応永元年(1394)にこの地域の領主であった溝口氏が現在地で再興したという。
本尊は三国伝来と言われる釋迦・阿難・迦葉の3霊像で、天竺(現:インド)の仏師毘首羯摩天(びしゅかつまてん)の作と伝えられている。
なお、金・銅製の釈迦如来で高さ13.5㎝の「天上天下唯我独尊」像は鎌倉時代の作とされ、昭和29年に県の指定文化財になっている。
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道 標
常安寺 『尾張名所図会』
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◇ 御嶽神社
〇「刀利天狗(とうりてんぐ)」碑
墳丘の東寄りの所に「刀利天狗」と刻まれた石が建っている。
刀利天狗とは一体何だろうか。
「怪異・妖怪データベース」には『長野県史』の要約として次のように記載している。
「大昔、刀利天狗は日本の真ん中に富士山より高い山が欲しいと考えて、富士山の頭をちぎって御嶽山の頂に乗せようとした。ところが休んでいるうちに朝になってそのまま逃げ出したので、ちぎった富士山の頭は三笠山になった。」
三笠山は御嶽山の7合目にあたり、現在は御嶽スカイラインの終点になっている所である。
御嶽神社のホームページには刀利天について次のように書かれている。
「三笠山神社
御祭神 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
別 名 三笠山刀利天(みかさやまとうりてん)
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刀利天狗碑
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御嶽山7合目。御嶽山を間近に臨む三笠山頂上に鎮座し、道中安全、交通安全の御神徳があります。
普寛行者が、この地に刀利天(豊斟渟尊)を勧請しました。刀利天は火と竈の神として信仰されている三宝大荒神と同体とも、帝釈天と同体ともいわれています。……中略……三笠山からがいよいよ本山といわれ、下界の日々の生活の反省と登拝への決意を新たにする場所でもあります。」
ここに石碑を建てた経緯が『春日井の歴史ウォッチング』(著:伊藤浩)に、次のように書かれている。
「今から一四〇年余り前のこと、このあたりは味鋺原新田と呼んでいました。この村に又七という熱心な御嶽教の信者が住んでいました。又七は、毎日のように近くの白山神社前のよし池で身を清めて修業をつみ、村の御嶽信者の先達となって、度々御嶽山に登拝しました。……
ようやく七合目にある三笠山にたどりつきました。すると、そのとき俄かに、横なぐりの強い風が吹きはじめ、たたきつけるように雨が激しく降りはじめました。ゴゥーゴゥーというすさまじい山鳴りに村人たちは恐ろしくなってふるえあがってしまいました。みんなは暴風雨に吹きとばされそうになりながら、ようやくのことで、先達に続いて刀利天宮の拝殿の前にひざまずきました。村人は先達に励まされて、もう、無我夢中で心経を唱えました。すると、いままでうろたえさわいでいた人々も不思議に心が静まり、やがてあらしが小止みになって来ました。村人はなんとか無事に、山小屋までたどり着くことができました。
村人は、命を助けて下さったというので、刀利天狗を信心することこのうえなく、山を降りるとき、刀利天狗の御分神を受けて村に帰りました。そして、氏神さまのあった春日山にその刀利天狗を祭り、村中の人が深く信仰するようになりました。」
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○御嶽神社の石碑群
古墳の西端に御嶽教関係のたくさんの石碑や社が建っている。
右端の社には「神変大菩薩」の額が掲げられている。修験道の開祖役行者を祀ってあるのだ。「御嶽神社」「八海山」と刻んだ石や、「白川大権現」「摩利支天」などの神名、「覚作霊神」のような先達名、合わせて10個もの石碑や社がある。
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◇ 春日山弁財天
古墳の南西山麓に祀られ、脇に平成7年(1995)建立の縁起を書いた石碑が添えられている。
江戸時代後期に、護国院境内に祀られていた弁財天をこの場所へ遷座した。しかし参拝に不便なので、200mほど南西の場所へ遷座し、140年にわたり人々の信仰を集めてきたが、再び元の場所へ再遷座したとのことである。
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