お亀の方の菩提を弔う
相 応 寺

 今は千種区に移転しているが、かつて赤塚交差点北東に相応寺という寺があった。初代藩主義直が母の為に建立した寺で、広大な敷地の大寺であった。




   宝亀山相応寺は浄土宗の寺である。赤塚神明社の東に位置し、格式が高く広大な境内の寺であったが、昭和7年(1932)に千種区城山町へ移転した。

◇初代藩主 義直が創建
 この寺は、初代藩主義直が、母親である相応院(お亀の方、家康の側室)の菩提を弔うために建立した寺である。
 寛永19年(1642)に相応院が亡くなるとさっそく建設を始め、翌20年(1643)に完成した。藩主の母の菩提寺なので、江戸時代は11,492坪という広大な境内で、寺領は300石であった。大正時代でも3,248坪ある。
 また、相応院ゆかりの重臣たちに塔頭を建立させた。東月院(竹腰山城守)、宝輪院(志水甲斐守)、究亨院(市部出羽守)、玉相院(成瀬隼人正)、春正院(山下市正)の5院である。


『尾張名所図会』

◇義直の葬儀も
 建立から7年後の慶安3年(1650)に義直が亡くなった。尾張徳川家の菩提寺は建中寺であるが、この頃はまだ建てられていない。このため、相応寺で葬儀をし、その後定光寺に運んで埋葬したという。その後、慶安5年(1652)に建中寺が創建された。
 このように藩と深い繋がりがある寺なので、藩主の子どもたちや、竹腰家の初代である正信やその子孫などが葬られている。

 5院有った塔頭は、享保13年(1728)に3院が廃寺となって、東月院と玉相院だけが残った。現在は東月院は千種区に移転し、玉相院は旧地に近年まであったようだが2012年のグーグルマップの写真では更地になって「玉相院壇信徒駐車場」の札がフェンスに下げられ、今は時間貸し駐車場に変わっている。




 2025/08/01