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元は伊勢長島にあった寺だが、名古屋開府で檀家の多くが名古屋へ移住したことで、寺もこの地へ移転してきた。鐘楼には珍しい石の鐘が吊り下げられている。太平洋戦争時の金属供出で鐘が無くなり、代わりに石の鐘が下げられた。戦争の愚かさを後世に伝えるために、「慚愧の鐘」と名付けて今も石の鐘のままにしてあるという。 |
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松嶋山圓明寺は真宗大谷派の寺である。 ◇伊勢長島から移転 元は伊勢長島松か島(現:桑名市長島町松ヶ島)にあり、文明年間(1469~87)の創建である。 この地へ移転したのは名古屋の町ができると、長島から名古屋へ移転する人がたくさんいて、その多くが檀家だったので寛文年間〔1661~73、元和7年(1621)とも〕に寺も移転した。 |
![]() 『尾張名陽図会』 |
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◇慚愧の鐘 境内に建つ鐘楼を見ると、石の鐘が下げられている。 この寺には明治44年(1911)に鋳造された鐘があった。しかし日中戦争が長引くなか金属が不足するようになり、昭和16年(1941)8月29日に勅令第835号「金属類回収令」が出され、内地では9月1日から施行された。これにより鉄や銅、銅合金を主な材料とするものの供出が始まった。 |
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12月8日には太平洋戦争が勃発し、17年(1942)になると寺院での回収が始まり、鐘だけでなく仏具も対象にされた。これにより円明寺の鐘も姿を消し、代わりに石の鐘が下げられたのである。 戦後の復興と共に銅の鐘に変える計画もあったが、戦争の姿を伝え反省する糧として「慚愧(ざんき)の鐘」と名付けて、今も石の鐘が吊り下げられている。 |
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