現在、神宮東公園やいくつもの企業がある東海道線から新堀川までの広大な土地に、かつては兵器製造所があった。 日露戦争開戦と共に熱田兵器製造所が造られたのが始まりで、その後拡張され北側に名古屋兵器製造所ができ、千種区にも製造所が置かれた。日中戦争が激しくなると、春日井市の鳥居松と鷹来などにも製造所ができ、不足する労働力は動員学徒などで補充された。 何度も空襲を受け、多くの犠牲者も出ている。 |
砲兵工廠時代 | 名古屋工廠時代 | 学徒動員・徴用工・女子挺身隊 | |
空襲と戦傷死 | 記念碑の建立 |
昭和22年 1/50000 |
現在 『スーパーマップル』 |
記念碑の建立 |
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昭和54年(1979)11月、神宮東公園の北西、かつての名古屋造兵廠と熱田兵器製造所の正門付近に、殉職者の冥福と世界平和を祈念して「名古屋陸軍造兵廠跡」碑が建立された。 また少し南には平成4年(1992)5月に(高蔵)徴友会が「青春思い出の地 徴用五十周年記念」として建立した「心の平和」モニュメント(山田将晴作)が建てられている。 造兵廠の遺構としては、中京倉庫の北西にレンガ造の建物が一棟残るだけである。 |
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「名古屋陸軍造兵廠跡」碑 |
「青春思い出の地 徴用五十周年記念」碑 |
唯一残る遺構、レンガ造りの建物 |
2024/06/23 |
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