草薙剣を安置した
影向間社跡
 熱田神宮の西に、かつて影向間社という変わった名前の神社があった。一時期は、草薙剣が安置されていたことがあるという由緒ある神社である。



 
 影向間(ようごのま)社とは珍しい名前だが、辞書をひくと「影向(ようごう、えいこう)とは神仏が来臨すること」と書かれている。どんな神がここに来臨したのかというと草薙剣である。

 熱田神宮のご神体は草薙剣である。日本武尊が所持した剣だが、伊吹山の賊を退治に行く時に妻である尾張の宮簀媛(みやずひめ)に預けて出かけ、帰らぬ人となった。残された剣を祀ったのが熱田宮だ。

 この大切な剣が盗まれてしまった。
 『日本書紀』の、天智天皇7年(668)の所に次のように書かれている。
  「是歳、沙門道行、盜草薙劒逃向新羅、而中路風雨荒迷而歸」
 僧の道行が草薙剣を盗んで新羅に向かって逃げたが、その途中に風雨に遭い迷って帰ってきたという内容だ。
 盗まれた剣は取り戻したが熱田宮に返されず、天皇の元に置かれた。それから18年後の朱鳥元年(686)、時の天武天皇が病にかかり、それは剣の祟(たた)りということで熱田宮へ送り返された。
 しかし、当時の熱田宮の正殿は大破していたのですぐには安置できず、修理が済むまではかつて宮簀媛の元に保管されたのに習って、尾張氏の家に安置された。ご神体を安置した部屋が影向間であり、その跡地に造られたのが影向間社である。

 大正時代に編纂された『名古屋市史』は、「影向間社は鎮皇門外の政所内にあり社殿桁行五尺(1.5m)、梁行一間二尺九寸(2.7m)。祭神は大宮の神と同體にして、大宮危急の時の立退所とす」と書いている。熱田神宮のご神体を万一の時に避難させる場所が影向間社ということだ。なお、政所とは祭礼の時に社人が集合する場所で祭所のこと。貞享3年(1686)に、元は大宮司の宅地だった跡地に建てられたという。

 太平洋戦争敗戦後、草薙剣は一時期神宮から避難した。進駐軍の上陸に備えて、剣は昭和20年(1945)8月22日から9月19日まで飛騨の水無神社(飛騨の一宮、現:高山市)に避難させており、この場所ではない。

 なお、現在影向間社は神宮の祈祷殿入口北へ遷座し、跡地は建物と駐車場になっている。駐車場の隅に鎮座する社は、影向間社ではなく秋葉社である。

『熱田図』 江戸時代

平成24年頃の様子(影向間社は遷座済)





 2022/02/22