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◇廻船の荷主たちが社殿を造営
その後、宝暦12年(1762、『尾張徇行記』では11年)に熱田道の西側へ地蔵堂を移転し、東輪寺の柏禅和尚を開基とした。
その頃、名古屋に極印講という大阪廻船の荷主たちで造った組織があり、住吉神の社殿を創建している。その後、江戸廻船も盛んとなりその講中もこの神社を崇敬するようになった。
祭神は海上守護の底筒男命(そこづつのおのみこと)・中筒男命(なかづつのおのみこと)・表筒男命(うわづつのおのみこと)・神功皇后の4柱である。
境内社として、人丸社・天神社・津島社・秋葉社・住吉霊社・山賀稲荷社がある。
なお、勧請当初に住吉神を祀った地蔵堂は、1840年過ぎに編纂された『金鱗九十九之塵』には「此堂門前に有しが今は見えず」と書かれ姿を消している。
今の住吉神社は八熊通の堀川近くから境内に入るが、江戸時代の絵図を見ると熱田道に門があって、そこから西ヘ参道が延びており、広い境内の神社であった。
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『尾張名所図会』 |