木々が茂り落ち着いた雰囲気の神社である。加藤清正が名古屋築城時に航海の安全を祈って創建したと伝えられ、境内には矢穴のある石も置かれている。 |
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この神社は、相当読みにくい名である。波限神社と書いて「なぎさじんじゃ」と読む。 境内の由緒碑によると、神社は名古屋築城の時にたびたび船が遭難するので、加藤清正が航海の安全を祈って、堀川河口にあった小島に日向の鵜戸神宮から分霊し建立したとのことである。 元は堀川の西岸に鎮座していたが、昭和14年(1939)に愛知時計電機(株)を拡張するため現在地に移転している。 祭神は彦波限建鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、神武天皇の父)である。 拝殿はコンクリート造りだが、本殿は木造で棟持柱もある神明造である。 本殿右には熱田社と秋葉社が相殿で祀られ、左には豊受稲荷大明神が鎮座している。豊受稲荷の社は彫刻が施されてなかなか立派な造りである。 なお、『名古屋市史』では明治初年の創建で、35年頃に改造遷宮し、大正時代には村社になっていたと書かれている。 境内には矢穴のある石があるが、築城時に遭難した舟から落ちた石であろうか。また、まむし神社と彫られた石碑も建っている。 |
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遷座以前の位置? 『大名古屋市街地図』 大正11年 |
拝 殿 |
熱田社・秋葉社 相殿 |
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豊受稲荷大明神 |
矢穴のある石 |
矢穴のある石 |
2023/04/04 |
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