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◇江戸時代 境内に多くの塔頭
江戸時代は多くの塔頭があった。耕雲院、月笑軒、洗月院、三笑軒、一雲院、梅蕚院、東陽軒、太虗院、高岩院、無翁院の10寺を数えたが、『名古屋市史』(大正年間刊)の頃には月笑軒、洗月院、梅蕚院の3寺が末寺として残るだけとなり、他は廃絶している。
現在は洗月院(神宮西駅の西へ移転)、梅蕚院の2寺が存続している。
また、末寺も非常に多く『名古屋市史』は23か寺を掲載し、ほとんどは現在の名古屋市域であるが、遠方では京都府南丹市の林泉寺が含まれている。
境内に白鳥社があったが、そこに残る枯れた古木は、日本武尊が亡くなり白鳥となって訪れた時に、一緒に飛んできた白幡が引っかかった木と言い伝えられてきた。
また、この寺は熱田神宮の大宮司を務めていた千秋(せんしゅう)家代々の菩提所である。
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