秋葉さんと言えば火伏せの神様。円通寺にはかつて秋葉三尺坊がいたと伝えられ、火災予防などを願う多くの人が訪れる。 今も12月には火渡り神事などの秋葉の火祭りが行われている。 |
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◇円通寺の創建 『尾張名所図会』は、円通寺について次のように記している。 「円通寺は田島小路の南の端にあり。曹洞宗で遠江の普済寺末。明徳2年(1391)権宮司家建立して、浜松普済寺の誓海義本和尚を以て開山とす。 秋葉社 尤(もっとも)大社にして、羽休(はやすめの)秋葉と称す。例祭11月16日17日、参詣人群をなし、こもり堂もありて、16日夜籠なすものも甚多し。又当社にて鉄火打を請けてこれを用ふれば、火災の恐なしとぞ。羽休の文字を其火うちにしるせり。」 平成15年の晋山結制式記念に刊行された『補陀山円通寺』は、弘仁2年(811)弘法大師が熱田宮に参籠し、自彫の十一面観音を奉納安置し寺を建立したのが、円通寺の始まりであるとしている。堂宇は老松の下にあったため「松下の観音」と呼ばれた。同書では、誓海義本を開山として、再建されたのは永享10年(1438)で、明徳2年(1391)という説もあるとしている。 また『金鱗九十九之塵』には、寺伝として次のように書かれている。 昔、一つの観音堂があったのを熱田神宮の神官である田島氏が深く帰依して、嘉吉年間(1441~4)に伽藍を建立し松露山円通寺と名付け、後に補陀(ほだ)山に改称された。 ◇火よけの神様 円通寺は、火除けの神様として名高い。『金鱗九十九之塵』に次の逸話が載っている。 誓海義本を慕って、多くの雲水が円通寺に集った。そのなかに姿をかえた秋葉三尺坊がいた。 ある時、三尺坊が客殿で昼寝をしているのを誓海がのぞき見た。その寝姿は、まさしく天狗の姿であった。三尺坊は、誓海に、自分の正体を見られたうえは、ここに留まることはできないと暇乞いをした。誓海が門まで見送りに出かけたところ、すでに三尺坊は、天狗の姿となり飛び去っていた。 三尺坊の部屋には、鎮防火燭の御札が置いてあった。そんなことがあったので、いつしか羽休の宮と呼ばれるようになった。 このようなことがあったので、境内に{秋葉出現道場」と刻まれた石碑が建っている。 円通寺では、12月16日(以前は旧暦の11月16日)に大祈祷会が行われ、夜には火渡りの神事がある。御札は、白狐の上に黒衣の僧形である三尺坊の天狗が立っている姿である。 ◇細野要斎が見た円通寺 安政5年(1858)4月3日『感興漫筆』の著者、細野要斎が円通寺を訪れた。 「羽休秋葉祠のにぎはひおびただし」と、その群集の多さに驚いている。羽休祠の中には小天狗の骸の乾いたものが飾ってあるという。 「何れの鳥にて模造せしにや、これを観んと欲するに、午時にして衆僧大般若経を転読する最中なれば、堂に入がたきを以て止む」と冷静に天狗の見世物の正体をみている。 三尺坊の像は、うす暗くて、はっきり見えない。「但白狐の形のみ髣髴と見ゆるのみ」と記している。 ◇浅野祥雲作の毘沙門天像 境内左手に毘沙門天像が建っている。コンクリート像の第一人者で桃太郎神社や関ケ原ウオーランドの像を作った浅野祥雲の、昭和44年(1969)78歳の時の作品である。 |
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2024/06/19 |
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