井戸の底は 亀の甲羅
円 福 寺
 熱田神宮南の交差点に建つ円福寺は最澄ゆかりの古刹で、かつては海岸に立地していた。井戸を掘ると巨大な亀の甲羅が現れ、熱田は蓬莱山という伝承が確認できたという。
 室町時代には幕府の庇護を受け、6代将軍が宿泊したこともあるという名刹である。

    かつては海岸に建つ寺   井戸を掘ったら 広大な亀の甲羅



かつては海岸に建つ寺
 亀井山円福寺は時宗の寺である。
 最澄が熱田神宮に参籠するときに建立したと伝えられるので、8世紀後半から9世紀初め頃である。

 かつては洲崎の毘沙門堂と呼ばれたので、海岸に建つ寺であった。
 元応元年(1319)に足利氏の一族である厳阿上人がこの地に住み、3町(9,000坪)余を埋め立てて寺の境内にし、後に室町幕府を開いた足利尊氏が建物を建立した。

 永享4年(1432)には6代将軍の足利義教(よしのり)が富士遊覧の途中、3日間滞在して連歌の会を催している。



井戸を掘ったら 広大な亀の甲羅
 この寺には不思議な井戸の話が伝わっている。

 厳阿上人が人夫に井戸を掘らせた。いっこうに水が出ないので掘ること35日に及び、井戸の底に不思議な物が現れた。上人が井戸底に降りてみると、亀の甲があり、それは広大でどこまで続いているか解らないほどだった。
 熱田は中国の東海上にある神仙境の蓬莱(ほうらい)山といわれ、蓬莱山は霊龜の背中に乗っているといわれている。掘ると亀の甲羅が現れたので、さてはここが蓬莱山というのは本当だったと思い、井戸を埋めて寺号を亀井山にしたという。

 大きな寺でかつては10の塔頭があったが『尾張名所図会』が編纂された江戸末期頃にはすべてなくなり、末寺に精進川(現:新堀川)岸の姥堂など三つの寺があった。



『尾張名所図会』
井戸を掘った跡が「かめ井の水跡」



 2023/02/20