佐屋街道の後身
津島街道 一里塚跡
 佐屋海道は、明治5年に新東海道(前ヶ須街道)が開設されるとともに廃止され、全国を結ぶ幹線道路網の一部としての役割は終わった。しかし、その後は県道津島街道に指定され、地域幹線道路として活躍し続けた。かつての佐屋街道一里塚は、津島街道の一里塚として使われた。




 唯然寺に津島街道一里塚の碑が建っている。かつて佐屋街道の一里塚があった場所である。

 標柱は「津島街道」になっている。明治5年(1872)に佐屋街道が廃止され、その後に国道・県道の指定が行われたが、旧佐屋街道の大部分が津島街道に指定されたからである。
 明治12年(1879)時点では、津島街道は二等県道で、名古屋区(当時は区制)古渡町から津島村までの4里35町240尺(19.8㎞)であった。

 『名古屋案内』(明治36年刊)によると、津島街道では定時乗合馬車が運行され、大須門前から午前8時半、9時半、午後2時、3時半の4回発車し、運賃は20銭であった。


『佐屋路分間延絵図』




 2024/03/01
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