旅の目印
『古渡村絵図』
古渡の一里塚
 江戸時代の街道には、旅人に距離を知らせる目印の一里塚が植えられていた。
 熱田と名古屋を結ぶこの道は美濃街道で、明治まで一里塚が残されていた。


    株周り3.3mの一里塚   評判の川口屋飴店



株周り3.3mの一里塚
 山王稲荷から少し南の伝昌寺の前に一里塚があった。次の一里塚は、南方面(東海道)は熱田宿の東端にある姥堂の東、北方面(美濃街道)は冨士浅間神社(現:西区)の北にあった。

 榎が植えられていたが、東の樹は明治42年(1909)に火事で焼け、枯れた株は周囲が1丈1尺(3.3m)あったという。西側の株は明治20年(1887)頃枯れている。

川口屋飴店と一里塚 『絵本上雲雀』



評判の川口屋飴店
 東側にある一里塚の北には川口屋飴店という評判の菓子屋があり、店の土間より南側では飴(あめ)を、北側では粔(おこし)を売っていた。
 街道筋なので疲れを癒やすため甘いものを求める旅人も多く、城下から足を延ばして買いに来る人でも賑わうという評判の店である。店先の賑わいは『尾張名所図会』や『尾張名陽図会」に描かれている。

右に一里塚  『尾張名所図会』

川口屋の店頭風景 『尾張名陽図会』




 2021/07/24