貨物輸送に大活躍

現在の名古屋港駅
臨港線 名古屋港駅・白鳥駅・堀川口駅
  

 海からの玄関口が名古屋港。たくさんの船が世界各地・全国各地と結び、膨大な貨物が出入りしている。トラックが普及する以前の内陸部への輸送は、艀や鉄道が担っていた。明治の開港直後に臨港線が開通し、輸送の活発化とともに延伸されていった。時代の変化で、今ではわずかに名古屋港駅が残るだけとなっている。




◇明治44年……臨港線 名古屋港駅開業
 名古屋駅と名古屋港を結ぶ臨港線は、名古屋港が開港場になった明治40年(1907)の翌41年(1908)4月に工事を始め44年(1911)5月1日に竣工し、名古屋港駅が1号地西端に造られた。
 その後、名古屋倉庫(現:東陽倉庫)の名古屋港進出により、同社の寄付金により線路は2号地の堀川岸まで延長された。

 当初は旅客輸送も行ったが大正4年(1915)に貨物専用になっている。しかし、汎太平洋平和博覧会開催時は臨時駅を入口に設置し、太平洋戦争中は旅客輸送を行い、戦後もナゴヤ球場正門前駅を設置するなど断続的に旅客輸送も担ってきた。



『名古屋市街全図』 大正6年

◇昭和3年……堀川口駅開業
 その後、東神倉庫(現:三井倉庫、現在の東神倉庫は戦後設立の別会社)が1号地から千年ニの割にかけて倉庫を建設した。
 これに伴い同社の寄付金で県が堀川西岸沿いに線路を1号地北東端まで延長した。この線路は昭和3年(1928)に国有鉄道に移管され、終端に堀川口駅が開設された。

 駅の業務は名古屋港駅が行い、1車積貨物と特殊貨物のみの取り扱いであった。



『名古屋港図』 昭和4年
◇戦前……市内鉄道貨物の3割
 昭和4~5年(1929~30)頃の主な発着貨物は左の通りである。
    名古屋港駅  発送……石炭・木材類・麦類・米・肥料、
           到着……砂利・米・麦類
    堀川口駅   発送……石炭・綿類・麦類・木材類
           到着……麦類
    白鳥駅    発送……木材類・セメント
           到着……木材類・砂利・セメント

 昭和12年(1937)には堀川口駅・名古屋港駅と稲沢駅との間を、毎日8往復(約450輌の貨車)の列車が貨物を運搬していた。この年の市内8駅での取扱貨物389万㌧のうち、116万㌧を名古屋港駅・堀川口駅が占めていた。実に30%である。

◇戦後……さらに拡大
 昭和20年(1945)1月になると白鳥線から日比野の中央卸売市場へ支線が伸び、24年(1949)に名古屋市場駅が開設された。

 また、堀川口駅の線路は堀川口艀溜築造に伴い北へ1.5㎞ほど延長され、29年(1954)には堀川口駅が北へ移転している。

◇現在……名古屋港駅のみ
 その後トラック輸送の増加により臨港線は縮小されてゆく。
 昭和55年(1980)に堀川口駅は廃止され、57年(1982)には白鳥駅も廃止、現在は名古屋港駅までの臨港線になっている。

臨港線最盛期の様子
『港区全図』 昭和30年


名古屋港駅 撮影時期は不明  『名古屋港史』


堀川口駅 撮影時期は不明  『名古屋港史』





 2023/04/07