堀川岸を走る電車
開業直後の水族館前(竜宮前)停留所
『名古屋鉄道社史』
熱田電気軌道
 明治の終わり頃、新開地だった5号地を発展させるため堀川岸に線路が敷かれた。沿線には水族館や南陽館などがあったものの3.4㎞の路線では経営が厳しく、名古屋電気鉄道に吸収され、その後市電になり、並行路線の開通によって姿を消した。




◇堀川岸に電車
 明治43年(1910)4月に、山田才吉はじめ18名により熱田電気軌道(株)が設立された。
 堀川左岸の堤防沿いに軌道が敷設され、7月には神戸橋(堀川・新堀川合流点附近に戦前まであった橋)東から東築地の区間が開通し、引き続いて南陽館前まで延伸された。

 大正元年(1912)9月になると神戸橋東から伝馬町の区間が開通し総延長3.4㎞の路線になった。伝馬町から北へは名古屋電気鉄道の路線が延びており、これにより名古屋都心から5号地南端まで電車で行くことができるようになったのである。

◇名古屋電気鉄道に吸収合併、さらに市電に
 熱田電気軌道は山田才吉が社長で、支配人以下13人という小規模な会社であった。沿線は新開地なので乗客が少なく、南陽館や水族館、海水浴場への旅客誘致を図ったが、株主への配当ができない状態が続いた。


記入文字は停車場(時代により名称は異なる)
『名古屋市新地図』 大正11年

 大正8年(1919)4月に熱田電気軌道は名古屋電気鉄道に吸収合併された。その3年後の大正11年(1922)8月には、名古屋電気鉄道は市内線を名古屋市へ譲渡したので、この路線は市電の東築地線になっている。

◇並行路線開通で廃線に
 昭和15年(1940)5月28日、市電大江線の内田橋~南陽通八丁目(竜宮町)が開通し、これにより並行する内田橋~南陽館前は廃止され、堀川岸を走る電車は姿を消した。





 2023/08/04