時代の流れ
元は港北運河だった港北公園
橋は運河だった頃の名残

運河支線は緑地へ
 かつては輸送路として活用され多くの艀が行き交った中川運河の支線も、トラック輸送が盛んになると静かな水面となった。水質も悪化し、そのまま放置するより緑地にした方が良いとの声が上がり、多くは埋め立てられていった。





   艀輸送からトラック輸送への転換により、運河支線の利用価値は大きく低下していった。水質も悪化しており、そのまま放置するよりは新しい用途で活用する方が良いとの判断から埋め立てられて公園などに姿を変えていった。

◇南郊運河
 南郊運河は、昭和37年(1962)に江川線より東部分(650m)の埋立が始まり、44年(1969)に完了し南郊公園になった。
 54年(1979)には、その西側の東臨港線までの区間(300m)の埋立が始まり57年(1982)に完了している。その後、さらに西側の埋立が行われ、現在は約200mの水面が残るだけになっている。

◇港北運河
 港北運河は、昭和38年(1963)に南北部分(500m)の埋立が始まり40年(1965)に完了して、千年下水処理場の処理水を利用して工業用水を製造する辰巳浄水場などがつくられている。
 54年(1979)になると運河の東西部分の東側(640m)の埋立が始まり、61年(1986)に完了し港北公園になった。現在は約500mの区間が残されている。

◇小碓運河
 小碓運河は平成8年(1996)から埋立が始まり10年(1998)に完了して南郊公園になり、わずかに100mの水面が残されている。

◇荒子川運河
 荒子川運河も西端が一部埋められたが、約1,300mの水面が残っている。



下図 スーパーマップル





 2023/12/01