完成当時から苦慮
中川運河の浄化対策
 
 中川運河は河口の中川口閘門と、堀川に接する松重閘門で仕切られ、水質が悪化しやすい閉鎖水域だ。このため完成当初から浄化対策に腐心し、現在は一時期より相当改善されている。


    戦前の浄化対策   現在の浄化対策



戦前の浄化対策
◇閉鎖水域の中川運河
 昭和5年(1930)に利用が始まり7年(1932)に全通した中川運河は、中川口と松重の閘門で締め切られた閉鎖水域である。
 入れ替わりがない水はすぐに水質が悪化するので、開削直後から浄化対策がとられた。
 ちなみに昭和7年(1932)のBΟD(生物化学的酸素要求量、単位:㎎/ℓ)は、堀川が35、新堀川が50、中川運河が40であった。令和3年調査の平均値は、堀川の納屋橋が2.0、新堀川の向田橋が4.0、中川運河の野立橋が4.0なので、今とは比較にならないほどの汚さであった。

◇下水道整備で川の汚濁が進む
 名古屋では大正元年(1912)に下水道の使用が始まり12年(1923)になると当時の市街地の大部分の地域で敷設工事が完了した。これにより街の衛生や排水は大きく改善された。しかし下水処理場はなく、集めた汚水や雨水をそのまま堀川や新堀川へ放流したので、川は非常に汚くなった。
 イギリスでは大正3年(1914)に活性汚泥による下水処理場が稼働を始めていた。日本で最初にこの最新技術を採用して建設したのが堀留と熱田の下水処理場で昭和5年(1930)から稼働している。

◇三川浄化構想
 下水処理場の稼働で従来よりは川に放流される水質が改善されたものの、堀川や新堀川はまだ汚かった。 当時の名古屋市下水課長であった杉戸清〔後、昭和36~48年(1961~73) 名古屋市長)は、河川浄化には清掃・下水道の完備・工場排水の予備処理が必要だが、完全に行う事は難しく、清水の注入が必要と考えた。清水は名古屋港の海水(BΟD:4)と木曽川の流水(BΟD:5)を利用して、三川をBΟDが15になる事を目標にした。

 杉戸清の三川浄化構想は次の内容である。
・木曽川からの導水を堀川ヘ注入する。
・名古屋港の海水を中川口閘門から注入し、運河上流の松重ポンプ所で汲み上げて一部は堀川ヘ注入し、一部は堀川岸と大須通に埋設した管で新堀川の記念橋の所で注入する。これにより中川運河と新堀川、さらに堀川の浄化も行う。


『なごや水物語』

◇浄化構想の実施
 海水を環流させるため、昭和12年(1937)に松重ポンプ所が造られ、中川運河の水を堀川ヘ13.9㎥/秒放流するようになった。
 さらに堀川右岸に岩井橋まで馬蹄形放流管を敷設し、13年(1938)から岩井橋下流での放流も行うようになった。

 木曽川から堀川ヘの試験通水も行われた。第1回を昭和12年(1937)5月に1週間、第2回を14年(1939)10月に1ヶ月間実施した。その後16年(1941)までに試験通水が5回実施されている。



松重ポンプ所の三川浄化用ポンプ
『絵葉書』

 昭和12年(1937)の盧溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争が激しくなると鋼材の入手が難しくなり、岩井橋から新堀川ヘの送水管の埋設は中止、15年(1940)には打ち切りになり、その後、木曽川からの試験通水も行われなくなった。

 この間、杉戸清は14年(1939)に市を退職して内務省に勤務するようになった。




現在の浄化対策
◇海水を中川運河→堀川→名古屋港へ循環
 中川口閘門から日量7万㎥の海水を中川運河に導入し、三川浄化構想により造られた松重ポンプ所で堀川ヘ放流している。

◇曝気による溶存酸素の増加
 平成16年(2004)から中川口閘門の通船門内とその北の中川口緑地前の水中に散気装置を設け、空気を水中に吹き込んで溶存酸素を増やしている。


中川口緑地前の曝気
◇高度処理した下水の放流
 露橋水処理センターの改築が完成した平成29年(2017)から、高度処理をした水の半分にあたる日量3万㎥を、地中に埋設したパイプで運河上流端の堀止で放流し水の停滞を防いでいる。これにより堀止部は2~3日で水が循環するという。
 なおこの水は温度が20度ほどあるので、ささしまライブ24地区の地域冷暖房の熱源に使用し、またせせらぎにも使い、その後に放流している。これに加えて水処理センターの処理水3万㎥を直接運河へ放流している。
 中川口閘門からの海水7万㎥と水処理センターの高度処理した下水処理水6万㎥の計13万㎥を松重ポンプ所で堀川ヘ放流して水の流れを造り、運河と堀川の中下流部の浄化を図っている。

◇露橋水処理センター
 中川運河の東支線と北支線が合流するところにある露橋水処理センターは、運河全線完成の翌昭和8年(1933)に稼働を開始した。名古屋では昭和5年(1930)に運転開始した堀留下水処理場、熱田下水処理場に続く3番目の施設である。
 当初は流入した下水の固形物を沈殿させ、上澄みを殺菌して放流する簡易処理であった。11年(1936)になると微生物により浄化する活性汚泥法による高級処理施設が完成し稼働し始めている。

 その後永い年月を経て老朽化が進み、従来できなかった窒素やリンを除去する高度処理が可能な施設にする必要もあった。平成16年(2004)に処理を停止して全面改築が行われ、29年(2017)に完成し再稼働した。
 処理は「嫌気無酸素好気法」を使用した高度処理を行っている。微生物を利用する点では活性汚泥法と同じだが、嫌気槽・無酸素槽・好気槽という環境が異なる槽を順次通過させる事により窒素やリンの除去効率が高まるとの事である。また、最終沈殿池を通過した処理水を急速濾過施設で砂の層を通して細かな汚れも除去している。
 改築以前の施設は地上に設けられていたが、改築により処理施設は地下に造られ地上は管理棟などだけとなった。広大なオープンスペースが生まれ、広見憩いの杜として解放されている。


昭和52年(1977) 『国土地理院空中写真』


令和2年(2020) 『国土地理院空中写真』





 2024/04/21