今も残る
七志水川の川跡
 かつて大須観音から日置神社あたりの排水を一手に担ったのが七志水川である。名古屋開府以前の自然河川を、都市の排水路として利用した川であり、下水道整備により道路に姿を変えたが、今でも切り込んだ谷地形が現地で確認できる、名古屋中心部では珍しい場所である。


 
 
 七志水川は、大須観音から日置神社あたりの水を集めて堀川へ流れ込む川であった。 
 元々は七つの清水から流れ出た川なので七志水川と名付けられたというが、市街地になった江戸時代には2つの流れが源流であった。
 1つは大須観音の南側を西へ流れてから南下し、もう1つは日置神社の少し南を西へと流れてから北上し、西本願寺別院の西で合流して1つの流れになった。合流後は西へと流れて堀川へ注ぐが、1800年過ぎくらいまでは白山神社の西を回り込んでいたものが、その後、直線的に堀川へ流れるように変わっている。

 この地域の幹線排水路であったが、大正時代の下水道整備により姿を消し道路に変わった。しかし、地形図を見ると今でも谷だった地形を残しており、特に伏見通から大須通までの区間は深く切れ込んだ谷地形が現地でもはっきりと見て取れる。


『尾張名陽図会』
七志水川が白山神社の南から西側へと流れている
 
『名古屋城下図』 元禄7年(1694)
白山神社の西に沿って北へ流れて堀川へ流入している


{尾府全図』 明治2年
まっすぐに西へ流れて堀川へ流入している

『愛知県名古屋明細図』 明治10年
大須観音南に水路らしい線が描かれているが断ち切れている


『名古屋市街全図』 大正6年
水路は道路に姿を変えている

『スーパーマップル』 現在
戦災復興で伏見通ができ街区も変わったが、川跡の道路は残った

『国土地理院 デジタル標高地形図』 0~12mで色分け
川跡は、今でもはっきりとした谷になっている




 2021/09/07