人造石‥‥今では忘れ去られた言葉だが、明治の文明開化・殖産興業の時代に、日本伝来の「たたき」を改良し一世を風靡した技術である。セメントが普及するまで、日本各地の土木構造物を造るのに用いられ、庄内用水でもいろいろな箇所で使われていた。

    文明開化を支えた 人造石   人造石を発明 服部長七   庄内用水と人造石



文明開化を支えた 人造石
   土木工事といえば、鉄やコンクリートを使っての工事をイメージする。

 今では考えられないことだが、昔は「土木」という言葉のとおり「土」と「木」が主役であった。
 土を掘り、木で構造物を造り、土を埋め戻し色々な施設が造られた。木製の橋は今でも一部に残されているので誰でも知っているが、昔は矢田川の下をくぐり抜ける延長170mにも及ぶ伏越(水路トンネル)までも木で造られていた。腐りやすくて維持管理や改修には大変な手間と費用がかかったことと思われる。

 日本の左官がもっている伝統技術に「たたき」がある。種土と石灰をこねて土間や竈(かまど)などを作るのに使われた技術だ。よく叩き締めて作るので「たたき」と呼ばれた。人造石はこの技術を改良して、水中でも固まり、硬くて、大規模な土木構造物も造る事ができるようにしたものである。石積の目地などにも使えるし、人造石自体を固めて構造物を造ることもできる。人造石は従来の「たたき」と同様に、使うときには良く叩き締める必要があった。このため、石積の目地は叩き棒が入るように目地幅がモルタルよりも広くなる。

 セメントは明治になると輸入されたり国内で作られたりしているが、価格や品質の面でなかなか普及せず、質の良いものを安価に造ることができる人造石工法は日本各地で採用された。
 全国的には明治10年(1877)代から港の建設などで人造石の採用が始まり、セメントの普及と共にモルタルやコンクリートも使われるようになり、大正になると鉄筋コンクリートの採用が始まって人造石は衰退していった。

 「日本人が発明したのは人力車だけだ」などと言われた時代であったが、文明開化と明治の産業振興を陰で支えてきたのは、人造石に見られるように従来からの日本の技術を改良し活用した当時の人たちの創意と工夫であろう。
 人造石の建造物は明治の優れた技術遺産だが、長い年月と戦後の経済発展の中でほとんどは失われてしまった。庄内用水では、元杁樋門の胸壁の目地に人造石が使われ、今も残されている。
 



人造石を発明 服部長七
   人造石を発明したのは、現在の愛知県碧南市で天保11年(1840)に誕生した服部長七である。

 安政3年(1856)に豆腐屋を開業したが、翌年桑名で左官の修行を始めその後故郷で独立し左官屋を開業した。この時に身につけた技術が、後の人造石誕生の基礎となっている。
 元治元年(1864)に桑名で醸造業を知人と共同で始め、明治4年(1871)になると桑名で饅頭店を開いた。しかし翌年には故郷に帰り酢の醸造業を始めている。
 明治6年に上京して現在の中央区京橋でとらや饅頭を開業した。饅頭を作るのに水道の水を使ったが、雨の後は水が濁り製造ができない。このため身につけている「たたき」の技術を活用し自分で濾過器を造ったところ非常に硬いものができ、その後、長七はたたき屋に転身した。長七の改良したたたきは非常に硬いことから人造石と呼ばれた。













『愛知県写真帖』 明治43年 
   明治8年に宮内省学問所の土間工事を受注したのを皮切りに評判が広がり、各地の工事を請け負うようになった。
 主なものだけでも次の工事がある。()内は竣工年。
 岡崎の夫婦橋(明治11年)、高浜の服部新田堤防(明治18年)、広島の宇品築港(明治22年)、佐渡の大間港護岸(明治25年)、白鳥貯木場樋門(明治25年)、四日市港堤防(明治27年)、神野新田堤防(明治28年)、明治用水頭首工等(明治34年)、名古屋築港(明治37年)
 この間、明治30年に緑綬褒章を受賞し、37年に事業を辞めて引退して大正8年(1919)に亡くなった。享年数えで80歳の長寿であった。


庄内用水と人造石
   庄内用水は名古屋郊外ののどかな農村地帯を流れており、人造石の採用は相当遅れ明治25年(1892)に元杁樋門と矢田川の伏越樋を改築したときは、まだ従来と同じ木造であった。
 それから15年後の明治40年(1907)から行われた三間樋、元杁樋門、矢田川伏越樋といった用水の重要施設の改築で初めて採用されている。それに引き続いて主要な立切や護岸が人造石で改築されていった。

 その後の永い歳月の中でほとんどが失われ、今は胸壁などに人造石を用いた元杁樋門が唯一残されている。
 
和 暦
西暦
月 日
事              項
明治40年 1907 12月18日  三間樋を人造石構造に改築する事業に着手。
 三階橋の南東にあった庄内用水と堀川を分水する三間樋(庄内用水への流量を調整する水門)を人造石で改築。

 ○工事費:2,133円25銭7厘  ○完 成:明治41年3月31日
明治41年 1908 4月18日  三間樋の南北護岸の石垣築造工事に着手。裏込に人造石を使用。

 ○完成:明治41年4月25日
明治42年 1909 12月18日  元杁樋門の改築に着手。胸壁の目地に人造石を使用
 庄内川から取水する元杁樋門の改築にあたり、樋管(堤防の下の水路トンネル)の側壁等は石積構造、底はコンクリートにしたが、胸壁(樋管出入口上部の擁壁)の目地に人造石が採用される。
(これが現在も残る元杁樋門。人造石を使い今も残されているものは名古屋市内でも全国的にもきわめて数少ない)

 ○規 模:内法寸法で高さ3.15m 幅2.1mのアーチ型2連のトンネルで延長29.8m
 ○工事費:10,515円78銭  ○完成:明治43年6月20日
明治43年 1910 7月30日  矢田川伏越樋を人造石で改築する事業に着手。
 庄内用水が矢田川を横断するための170mもの地下水路「矢田川伏越樋」の人造石による改築事業が始まる。
 この時の種土は近くの志段見村吉根(現:守山区大字吉根)で採られた土を使用。種土の購入代金だけで3,400円50銭、石灰の代金が3,143円50銭であった。

 ○規 模:内法寸法で高さ2.55m 幅2.1mのアーチ型2連のトンネルで、延長169.56mという大規模な施設。
 ○工事費:41,644円3銭   ○完成:明治44年5月30日
大正元年 1912 9月28日  東井筋で、立切を人造石で改築する工事に着手。
 西区隅田町(現:西区幅下二丁目)地内にある東井筋(江川、庄内用水支川)の立切(取水しやすいように水位を堰き上げる施設)を人造石で改築する工事に着手。

 ○規 模:長さ9.1m 内法寸法で高さ1.8m 横幅1.2m
 ○工事費:1,080円     ○完成:大正元年12月20日
大正2年 1913 10月13日  庄内用水の立切を人造石で改築する工事に着手
 庄内村大字稲生字十三割(現:西区稲生町1丁目)にある庄内用水の立切を、人造石で改築する工事に着手。

 ○規 模:長さ 5.8m 内法寸法で幅5.7m 4門
 ○工事費:950円      ○完成:大正2年11月30日
大正6年 1917 3月10日  米野井筋の水路付け替え工事に着手。人造石の護岸を採用。
 愛知郡愛知町大字米野、露橋(現:中村区、中川区)地内の米野井筋(庄内用水支川)の用水路を付け替える工事に着手。護岸の相当部分を人造石で築造。

 ○規 模:工事延長 450.27m、幅員 1.8m  うち護岸の延べ延長651.56m を人造石護岸とする
 ○工事費:3,522円93銭   ○完成:大正6年4月30日
大正9年 1920  庄内用水の立切周辺の護岸を人造石で改築
 大正2年に人造石で改築した庄内村大字稲生にある立切周辺の護岸を人造石で改築。併せて護床工(水路の底が流水でえぐられないように補強する工事)も行う。

 ○規 模:護岸工の延長 10.5m 護岸の高さ 平均1.5m 護岸の厚さ 上端45cm 下端75cm
 ○工事費 199円32銭  ○護床工の工事費 476円32銭
大正11年 1922 3月15日  三郷悪水路の吐樋の改築工事に着手。樋管出口の袖壁に人造石を採用。
 庄内村大字稲生字十三割地内の三郷悪水の樋管は従来は木造であったが、改築にあたり樋管本体は鉄筋コンクリート、樋管出口の袖壁に人造石を採用。

(庄内用水関係の構造物で鉄筋コンクリートが採用されたのは、大正6年の大幸川の水路橋が最初で、この頃が人造石から鉄筋コンクリートへの転換期である)

 ○規 模:長さ 5.4m 内法寸法で 高さ1.2m 幅1.9m 1門
 ○工事費:1,335円     ○完成:大正11年6月18日
昭和14年度 1939  人造石造りの矢田川伏越樋の修繕工事を実施
 矢田川の川底が浸食で下がり、明治43年に人造石で造られた矢田川伏越樋の上部が川底に出てきたため浸食防止の工事を行い、併せて樋管の底の人造石目地が流出していたためモルタルを充填して補修。

(この頃にはすでにモルタルやコンクリートが一般的になり、人造石は使われなくなっていたようである)

 ○規 模:浸食防止の床止工 長さ55m、巾 2m
 ○工事費:1,900円
昭和30年度 1955  人造石造りの矢田川伏越樋が改築により取り壊される
 矢田川の川底が浸食で下がり伏越樋の上部が川底から1.4m露出して流水の妨げになり、また老朽化してきたため、改築工事が行われる。

(これにより、明治44年の築造から44年間にわたって使われてきた大規模な人造石製の旧伏越は取り壊された)
       
       



 1997/01/07・2021/03/17改訂