金城橋のたもとに堀川へ下りる階段がある。今では使われることもない階段であるが、かつての堀川には必要不可欠な施設であった。

   
 川は今では危険な場所と思われ「よい子はここで遊ばない」という看板が立てられていることもある。護岸を造るときには、多くは人が近づけないように造られる。
 しかし、かつて川と人は濃密な関係を持っていた。水辺に近づくための施設が川のあちこちで見られ、庄内用水では野菜や農具を洗うための階段があり、ここ堀川では荷揚げのための階段が造られた。

 鉄道や自動車が普及するまでの堀川は幹線輸送路でもある。
 碁盤割の城下町に隣接する地域では、岸に舟をつけて荷を岸の倉庫に直接運び込めるようになっていた。川岸がそのまま船着場である。また舟運と陸運の交差する橋のたもとに共同物揚場が設けられていた。
 ここ金城橋は柳原街道(柳原通商店街)を通って名古屋城の東に出ることができ、陸運の便も良い場所である。近所の人の話では、かつては近くの建材店が舟で運ばれた土管をこの階段から陸揚げする風景がみられたという。

 今では川辺を歩く人も見過ごすような階段であるが、堀川が果たしていた大切な役割を今に伝える歴史の証人である。


 2004/07/28