熱田大空襲
爆弾跡の護岸

 堀川右岸、白鳥橋の下流にある千年プロムナードに、熱田大空襲の時の爆弾跡が残る堀川護岸が保存されている。傷ついたコンクリートは、愚かな戦争の様子を伝える貴重な遺産である。





 白鳥橋から大瀬子橋までの堀川右岸に、千年プロムナードがある。このあたりの堀川は幅が広く、川風を感じながらの散策はのどかで気持ちが良い。

 白鳥橋から少し下流に歩いて行くと、コンクリートの塊がある。コンクリートにはたくさんの窪みがあるが、これは太平洋戦争の熱田大空襲の時に、飛び散る爆弾の破片がつけたものだ。狭い間隔はいかに密度の濃い爆撃であったかを物語っている。
 今は静かな堀川岸だが昭和20年(1945)6月9日に、このすぐ横にある愛知時計電機など、当時飛行機や兵器の製造を行っていた工場へ空襲があった。わずか10分の爆撃で2,000人以上の死者が出る修羅場となった。コンクリートにさえ大きな傷を付ける爆弾の破片が人々へ激突したのだ。

 コンクリートの塊は堀川の旧護岸だが、平成8年(1996)に新しい護岸を造るにあたりプロムナードで保存され、戦争のむごさを今に伝えている。





 2023/02/042