宗春の娘が住んでいた
               お姫様屋敷   

 幅下小学校の南に、かつては比米町という名の町があった。ここには、昔お姫様が住む御屋敷があったことからついた名である。




 住んでいた御姫様は、7代藩主宗春の娘で、側室伊予の間に享保13年(1728)に生まれた頼姫である。

 宗春には正室はなく、側室との間に男子2人・女子6人が生まれた。しかしみな早世して、宗春が幕府から謹慎を命じられた元文4年(1739)1月12日の時には頼姫1人が残っていただけである。

 翌5年(1740)に頼姫は宗春の跡を継いだ8代藩主宗勝の養女になり、延享3年(1746)2月25日、近衛家24代当主である内前(うちさき)との結婚のため京へと上っていった。
 その上京前に住んでいたのが、この御姫様屋敷である。なお、屋敷の場所は、かつて尾張藩支藩である四谷家の巾下屋敷があった土地の一角である。
 頼姫は29日に結婚し、宝暦10年(1760)に亡くなった。諡(おくりな)を霊樹院といい、その後屋敷が廃止され武家屋敷に変わってからも、この地は霊樹院屋敷跡、一般には御姫様屋敷と呼ばれるようになった。

 後にお姫様屋敷が転じて「比米町」になり、近年までこの町名が使われていた。


『名古屋古図』
時代の記載なし


『名古屋城下図』
慶応元~2年(1865~6)

『名古屋市西区最新地図』
 昭和10年(1935)





 2022/12/14