江戸時代初期は水主屋敷
水 主 町
 中村区の堀川西岸に、水主町交差点や水主町公園がある。
 なぜ、水主町という名が付いたのだろうか。




 堀川の西岸、天王崎橋の少し南から岩井橋の間は、かつては水主(かこ)町という町名であった。この名は、江戸時代前期に藩の船を運航する水主たちが住む水主屋敷が、今の天王崎橋西にあったことから付けられた。

 『尾張志』によると享保8年(1723)に屋敷は町屋になったという。翌9年に法蔵寺(八角堂)が尾頭新町からこの地へ移転してきている。

 一方、今の新洲崎橋東南にあった水主屋敷は、江戸時代の終わりまで続いていた。

『名古屋城下図』
元禄7年(1694)




 2021/12/17