ナイアガラの滝のよう
内田橋付近 『伊勢湾台風の全容』

伊勢湾台風の水害
 昭和34年の伊勢湾台風により、元は干拓新田である低湿地帯で、周辺にたくさんの貯木場があった東築地地区は大変な被害を受けた。その後の堤防かさ上げや貯木場の移転などにより安全性は高まったが、低湿地帯に変わりはなく、将来のスーパー台風来襲などに十分警戒する必要がある。


    低湿地帯に高波   流木が被害を拡大   犠牲者は白水学区が多い
    住宅被害も南区が一位    



低湿地帯に高波
 昭和34年(1959)9月26日に来襲した伊勢湾台風で、東築地は大きな被害を被った。


一面 海に戻る  『伊勢湾台風の全容』に加筆

 瞬間最大風速が45.7mという強烈な風が吹き、海面は空前絶後のNP(名古屋港朔望平均干潮面)+5.31mまで上昇した。

 『伊勢湾台風災害誌』は次のように記録している。

・埋立地護岸やふ頭の高さはNP+4.50~4.80m程度で、午後9時ごろから浸水が始まった。
 多量の海水がこれら埋立地に流れ込み、これらの海水は埋立地を乗り越えて背後の低地域へ流れ込んでいつた。
・山崎川と堀川にはさまれた道徳町方面は、堀川に沿う木場町の貯木場を高潮が越え、また山崎川右岸が数ヵ所にわたり延長約200mあまり破堤したために浸水をみた。
 被災者たちは「まるでナイヤガラの滝のように、堤防の全面から海水が浸入した」とか、「たらいを水の中に沈める時のように全面的に浸水してきた」などと語っている。


「破堤高潮侵入図」
東築地には堀川からの越水と
山崎川の破堤か所から侵入
『伊勢湾台風災害誌』に加筆


最高浸水水位図」
東築地の一番深いところは5m、
大同町・柴田に次ぐ深さ
『伊勢湾台風災害誌』に加筆


「湛水水位図」
東築地の一番深いところは3m、
市内浸水区域で一番深い
『伊勢湾台風災害誌』に加筆


「湛水日数図」
東築地で一番遅いところは25日
『伊勢湾台風災害誌』に加筆




流木が被害を拡大
 被害を拡大させた要因に木材の流出がある。『伊勢湾台風の全容』には次のように書かれている。

 「港東地区には、今開港以来という木材が、八号地貯木場をはじめ港内、運河に山と積まれていた。南洋から来た巨大なラワン材が主で、中には直径2m、重さ5㌧の巨木もあって、その木材の山が津波に乗って押しよせ、密集する住宅をこわし、人を殺した。
 南区で1,500人もの死者を出した原因は、その流木のためだ、といわれている。1ブロック世帯48人のうち3人生き残っただけというところもある。」

 流出した木材は、三重県や渥美・知多半島まで流れ去り、釧路や高知からも筏師が応援に駆けつけ回収した。


水が引いた後の、南区南陽通




犠牲者は白水学区(八号地の東)が多い
 伊勢湾台風での死者(行方不明も含む)は、日本全体で5,098人で、そのうち愛知県は3,033人、名古屋市は1,851人であった。
 市内での死亡者を区別に見ると、1位が南区の1,417人で市内死亡者の76.6%、県内の46.7%を占めている。ちなみに2位が港区の375人、3位が中川区の20人だ。

 南区に被害が集中しているが、そのほとんどは東海道線より西の干拓新田や埋立地として陸地化した低湿地帯で、かつ貯木場が集中していた地域で発生している。

 学区別では白水(はくすい)学区がとりわけ多く、1,000人あたり53.2人が亡くなっており、住人の20人に1人が死亡したということである。ここは西に海に面して八号地貯木場があるため、高潮と波浪により巨木が奔馬のように人家に押し寄せ被害を拡大している。

 堀川東岸の道徳学区も西に名港貯木場があるが、堀川と山崎川に挟まれた地域で直接海に面していなかったことにより、流木の威力が白水学区ほどではなく、犠牲者は白水学区より少なかったと考えられる。


学区別人口1,000人あたりの死亡者数
『伊勢湾台風災害誌』




住宅被害も南区が一位
 浸水以上の被害を受けた住宅は、市内で118,324戸で全住宅数の約3分の1に及んだ。
 全壊は6,166戸で、南区が43.7%の2,697戸、港区が34.7%の2,141戸と集中している。これも波浪に加えて流木により大きな被害を受けている。


道徳通の状況
『伊勢湾台風災害誌』





 2023/10/22