路地のような
隅 田 神 社
 町中で大きな樹が見えると、たいていは神社かお寺である。神社を探すときには樹を探してゆけば行き着ける。
しかし、隅田神社は見つけにくい神社である。車で走っていると神社があることさえ気がつかないであろう。




   菓子問屋が軒を並べる明道町交差点の北東、広い江川線に面して鎮座している。
 昭和レトロを感じさせる中央菓子卸市場の赤さびた外壁を目印にして行くと、その北隣に石の鳥居が控えめに立っている。横には「隅田神社」の石柱、書いたのは昭和27年(1952)から36年(1961)まで名古屋市長をしていた小林橘川だ。

 中へ入ると、路地のように細い境内の通路に沿って、社務所か集会所のような木造の古い家が左手にあり、右手には石柱の上に諫鼓鳥(かんこどり、閑古鳥ではない)の石像が置かれている。諫鼓とは、昔中国の皇帝が自分を諫めようとする人が叩いて知らせるために置かれた太鼓のことである。しかし善政を行ったので誰も叩く人がなく、諫鼓は苔むして鳥の遊び場になってしまったという。諫鼓鳥は善政と太平の象徴だ。この境内にある諫鼓鳥、少し苔がつき始めたようにも見えるが、まだ苔むしているとは言えないのが残念である。

 その奥に3つの社が並ぶ本殿がある。
 3社には覆殿が掛けられ、薄暗いが独特の情緒が感じられる場所だ。須佐之男大神・迦具土(かぐつち)大神を祀り、摂社として隅田開運稲荷神社・柳龍神社が鎮座している。

 周りは菓子問屋街で、かつては仕入れに来た人たちが菓子の入った缶をたくさん持って行き交い、カンカン部隊と呼ばれて賑わっていた。境内の開運稲荷に店の繁栄を願った人もたくさんいたであろう。街の姿が大きく変わるなか、ひっそりと鎮座する隅田神社はいつまでもこの雰囲気を残して欲しいものである。

 




 




 2022/11/26