商店街に広がる 静謐な空間
普段は門が閉じられて見えません
慶 栄 寺
 円頓寺通りに面して、2つの寺が建っている。ひとつは通りの名前になっている円頓寺だ。円頓寺の東にある寺が慶栄寺だ。
 円頓寺商店街の一角にありながら、境内は静かな時間が流れている。

    戦国時代の創建   御開帳 雷獣の見世物



戦国時代の創建
 慶栄寺は真宗大谷派の寺で、山号を阿原山と呼ぶ。この寺が春日井郡の阿原村(現:清須市)にあったからだ。創建は遠く永正8年(1511)にさかのぼる。開基は善正上人である。3世壽玄のときに寺は阿原村から皆戸町(現:中区)へ移転し、さらに享保9年(1724)の「享保の大火」により、現在の地に移ってきた。

 境内に文化元年(1804)に住職義諦が建立したとされている太子堂がある。
 『尾張名所図会』は、太子堂について次のように記している。
 「太子堂は往昔、南都元興寺に太子御基立ありし宝塔の古材を以て造営せし所にして、すなはち堂内に太子御自作の尊像を安じ奉れり」
 聖徳太子自作といわれる太子像が祀られている太子堂は、奈良の元興寺の五重塔の古材を用いて作られたものだ。太子堂は、二畳台目の茶室として使われていた。

 慶栄寺には、太子堂のほか松涛庵と呼ばれる茶室もある。京都東山から足利義政好みの茶室を移したものだという。六畳台目、桟瓦葺きの数寄屋造りだ。


左:円頓寺、右:慶栄寺
『尾張名所図絵』



御開帳 雷獣の見世物
 娯楽の少なかった江戸時代、寺社のご開帳は庶民にとり一番の楽しみで、人出を当て込んでたくさんの見世物がでた。

 文化6年(1809)7月15日から1か月間、慶栄寺と信行院が同時にご開帳をし、大変な盛況となった。
 五條橋南西の橋詰には大亀を水船に入れた小屋がけの見世物、北西橋詰は竜宮城のからくり、橋の西では人魚の作り物や白牛などたくさんの見世物が並び、夜になるとインコやオウムも見せた。このあたりは見世物が禁止されている所なので、表向きは菓子店にして菓子代という名目で木戸銭を取り、町屋を借り縁板などを外して見世物を始めた人もいた。

 慶栄寺では雷獣の見世物が出ていた。雷獣というのは雷の時に現れる異様な動物のことだ。日本各地に見た・捕まえたという伝承や絵があるが、犬や猫のような姿だったり、ハクビシンやムササビに似ていたりと色々である。
 このご開帳は人気が人気を呼び、『猿猴庵日記』には「知多郡・三河辺、又は新田辺よりも、堀川筋を船路の参拝夥し」と記され、行き交う舟で堀川も大変な混雑になったようだ。

 慶栄寺の山門は普段は閉じられて静かにたたずんでいるが、大正12年(1923)に再建された木造の本堂があり、商店街にもかかわらず静謐な空間が広がっている。




 2022/03/04