江戸時代後期に創建
神明社
 広い境内に大きな樹が茂り神社らしい雰囲気を醸しているが、意外なことに創建されたのは江戸時代後期の比較的新しい神社である。




 旧八ッ屋村の神社だが、創建は1810年頃と言われており、1800年前後に編纂された『尾張徇行記』には神社の記載がない。その後に描かれたと考えられる村絵図には「宮 熱田大神宮 伊勢大神宮」と書かれている。

 宗教が生活に深く根ざしていた江戸時代は、ほとんどの村に神社があったが、八ッ屋村はこの神社の創建まで神社がなかったようだ。あるいは有っても、地図や徇行記に載るような規模ではなく、小さな祠で祀られていたのかもしれない。
 八ッ屋村の石高は元高で97石余、人口は江戸時代初期の『寛文村々覚書』の頃は16戸で103人、「尾張徇行記」の頃でも31戸で127人という小さな村だったので、創建が遅れたのであろう。


「八ツ屋村絵図」

 この村は尾張藩領ではなく熱田神宮領だったことから、熱田と伊勢の神を祀ったようだ。現在の祭神は熱田神宮・八剱社・秋葉社で、境内には樹齢百年を越すクロマツ、鳥居の両側には大きな楠がそびえ、神社らしい雰囲気が漂っている。




 2024/01/19