中川運河開削で創建
神明社(小栗橋東南)

 小栗橋東南に小さな神社がある。運河が開削された少し後に創建され、境内には無三殿橋の親柱や無三殿の社、笈瀬稲荷も祀られ、小さいが魅力のある神社である。




 街中にある小さな神社である。

 入口の神社名を期した標柱には「昭和十三年二月建之」とあり、鳥居には「昭和十二年十月建之」、本殿前の石燈籠には「昭和十三年十月建之」、狛犬の台座も「昭和十三年十月建之」と刻まれているので、昭和12~13年(1937~8)頃に整備が行われたようだ。
 中川運河は昭和7年(1932)に全線完成しているので、その少し後のことである。運河が完成し、沿川地域が開発されて新しい住民が生まれ、産土神社として創建されたのであろう。

 入り口にむさんど橋の親柱が保存されている。「明治四十四年」と刻まれている。
 むさんど橋の架かっていた場所について直接記載された資料は見つからないが、名称から判断すると無三殿の杁の所と考えられる。無三殿の杁は笈瀬川から堀川ヘの放水路(三間杁筋・笈瀬川分流)を江川が掛樋で超えるところに設けられていたものだ。無三殿橋は江川沿いの道が放水路を超えるために架けられていた橋か江川を越えるために架けられていた橋と推測される。
 この道は路面電車を通すため柳橋から船方までの道路改修を行い、明治44年(1911)に竣工している。親柱の年号と一致するので、この改修の時に架け替えられた親柱であろう。

 なお江川は昭和6年(1931)度から3か年継続事業で行われた江川幹線下水道築造事業により下水幹線となった。同じ頃、三間杁筋(笈瀬川から堀川ヘの放水路)と無三殿の杁も姿を消し橋が不要となった。親柱がここへ移設された時期は不明であるが、昭和戦前の事であろう。



 本殿右手の狭い空間に「無三殿」と刻まれた新しい標柱〔昭和54年(1979)建立〕と小さな社が鎮座し、その台座にはセメントで補修された亀の像がある。

 左手にある笈瀬稲荷については、境内に由緒書がある。それによると転々と移転した神社である。
 延享3年(1746)に尾張徳川家の寄進により創建された。その後、社殿は荒廃していたが明治42年(1909)に改築して伏見稲荷を再勧請したが、事故により境内を明け渡す事になり中区伊勢山の神明社へ遷座した。その後、中区大須の三輪神社へ奉遷して10年ほど鎮座していたが、昭和区川名町の個人宅へ遷座した。昭和15年(1940)にここへ遷座して名前も笈瀬稲荷へ改称した。
 これによると、この神明社が整備された頃にここへ遷座したようである。





 2024/04/05