村内の神社を統合
神 明 社

 広い境内に立派な社殿が建つ神社だ。元は中野村内に散在していた社を、水害から逃れるため江戸時代半ばに、ここへ集約したという。




 旧中野村の神社で、神明社が創建された時期は不明である。江戸時代は「前々除」となっているので、慶長13年(1608)に行われた備前検地以前からある神社で、旧社格は村社である。

 広い境内でよく整備されているこの神社は本殿が三つ並んでいる。

 中央の神明社が天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)、右の八幡社が品陀別命〔ほんだわけのみこと、=誉田別命(ほむたわけのみこと)=応神天皇〕、左の白山社が白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)である。
 三つ並ぶ立派な造りの本殿は階段や手摺りが雨水を避けるため金属板でカバーされている。

 現在はここに鎮座しているが、『尾張徇行記』に寺方役所帳の記載として「昔は村のあちこちに分かれてあったが、しばしば洪水に見舞われたので安永6年(1777)に、村中で比較的標高の高いこの場所へまとめて遷座した」と記録されている。

 入口に建つ蕃塀は新しく、平成11年(1999)に奉納されたものだ。また、手水鉢の注ぎ口が亀なのは珍しい。
 境内社に須佐之男社(津島社)がある。





 2023/02/15