藩蔵跡地で開業
東 海 倉 庫
 倉庫業は一般の人には意識されることが少ないが、輸送業と並んで物流に大きな役割を果たしている。
 納屋橋東南の江戸時代は藩蔵があった場所で、明治末期に東海倉庫が開業した。混雑する堀川岸での荷役を避けて、構内への引き込み水路を設けたが、この引込口は今も保存されかつての艀輸送全盛時代の名残を伝えている。





◇開業時……堀川からの引き込み水路
 明治になり、名古屋は城下町から近代的な産業都市へ変貌した。近代的な工場ができ、たくさんの原料・燃料・製品が搬出入されたが、この時代の大量輸送は船が担っていた。堀川は江戸時代とは比較にならないほど多くの船が行き交い混雑するようになった。

 物資の円滑な流通には、輸送と共に適切な保管が必要である。
 明治39年(1906)に東海倉庫(現:東陽倉庫)が設立され、倉庫業を始めた。堀川の舟運を利用できる納屋橋東南の藩蔵跡地のうち15,000坪の土地を買収し、翌40年(1907)5月16日に250坪の倉庫として営業を始めた。
 堀川は多くの艀や筏で混雑しているので、開業にあたって堀川から敷地内へT字型の引き込み水路を造り、倉庫に横付けして荷役ができるようにしている。

 名古屋を描いた浮世絵は非常に少ないが、この堀川からの引き込み水路を描いた絵がある。生涯に600点の作品を残した川瀬巴水の「名古屋堀川」という作品で、昭和10年(1935)に版行された。



『名古屋中央部営業案内地図』
明治42年


引込水路 『愛知県写真帳』 明治43年

対岸の橋が引き込み水路
「名古屋堀川」
◇今も残る水路口
 引き込み水路は戦後に埋められたが、堀川との接続口は残された。堀川は川幅が狭いので、大型の艀が方向転換するときに舳先を川幅が広くなっている接続口に差し込み向きを変えることができるように残したとのことである。
 この部分は平成の護岸改修でも再整備して現地に保存され、かつて艀輸送が盛んだった頃の名残を今に伝えている。


 戦災後の姿 「モージャー氏の写真」
 昭和20年代前半頃
 





 2022/01/21