広井村の氏神
神 明 社
 賑やかな錦通から少し北へ入ったところに、都心とは思えない静かで落ち着いた神社が鎮座している。通称、花車神明社だ。
 かつての広井村の氏神で、うっそうと樹が茂る境内には地域の歴史と文化を感じさせる様々なものが残されている。

    広井村の氏神   戦地に向かう若者   井戸と手水鉢
    占いの重軽石   風情のある池と社   不動様 天下る



広井村の氏神
 名古屋開府以前は、泥江縣神社の境内社であったと伝えられている。開府以前の広井村は堀川の東まで広がっており泥江縣神社が氏神であったが、城下町が出来たことで泥江縣神社は城下町に取り込まれ、村の氏神はこの神明社に変わったと『名古屋府城志』や『尾張年中行事絵抄』に書かれている神社である。
 『尾張志』では鎮座の年月は不明であるが、寛文3年(1663)9月が最初の社殿修築の記録となっているので、それ以前の創建であろう。旧社格は村社であった。
 城下の大半を焼き尽くした元禄の大火(1700)や享保の大火(1724)で類焼しているが、そのたびに氏子たちにより再建されてきた。太平洋戦争では戦火を免れ、昭和29年(1954)に本殿の改築と拝殿の新築を行い、境内は独特の風情を醸し出している。





戦地に向かう若者
 鳥居の脇に立つ神社名を刻んだ石柱は、明治39年(1906)に日露戦争の勝利を記念して東柳町(神社の南)軍人団が奉納したものだ。
 その横には台座に「還らざる社頭の雄姿を偲びて」の文字が刻まれた乃木大将と思われる軍人像が建っている。出征する青年たちはこの神社で武運長久を祈願し、人々に送られて勇ましく入営していった。しかしその姿が今生の見納めとなった。人々がまぶたに焼き付けていた姿をしのぶ様子をイメージして造られた像であろう。
 建立した年月は見当たらないが、これと同じポーズの像が中村区日比津の定徳寺南に建てられており、それには昭和9年(1934)10月建立と彫られている。日本が泥沼の戦争にのめり込んでいく時代に、戦意高揚のため建てられたのではないだろうか。



古風を残す 井戸と手水鉢
 鳥居をくぐると右手の手水鉢の際には井戸が残されている。今は使われていないが、屋根が設けられかつて参拝の人が釣瓶で水を汲んでいた姿を思い起こさせる。昔はどの神社でも手水鉢の近くに井戸があったはずだが、水道の普及ですっかり姿を消してしまった。

 その横の手水鉢は明治26年(1893)に小鳥町(伝馬橋の北西)の氏子80戸が奉納したものだ。この年は日清戦争の前年である。水の注ぎ口は他所では見かけることがない独特のモチーフである。


手水鉢(左)・井戸(右)
水の注ぎ口(囲み)



占いの重軽石
 鳥居近くに天光竜王弁財天が祀られている。
 かつて神社には樹齢800年と言われるムクノキがあったが枯れてしまい、その木霊を神として祀ったものだ。小社の中には、とぐろを巻いた蛇の形の重軽石(おもかるいし)も置かれている
さらに進むと正面に天照大御神を祀る本殿があり、右手には建ち並ぶ赤い鳥居の奥に倉玉稲荷大明神が鎮座し、そこには宝珠の形をした重軽石も置いてある。

 重軽石は占いに使う石である。占い事を念じながら石を持ち上げて、思っていたよりも軽く感じたらその願いは叶い、重かったら叶わないという。この地域では各地の神社や寺で見かけるが、1カ所に2つあるのは珍しい。

 
 
天光竜王弁財天と重軽石
 
倉玉稲荷大明神と重軽石



風情のある池と社
 本殿の左手は独特の風情がある場所になっている。池があり中島がしつらえられて社が設けられている。
 社は田心姫命(たごりひめのみこと)を祀る宗像(むなかた)社だ。この池と社は江戸時代に設けられており、『尾張名陽図会』では弁財天と書いてある。神仏習合の時代には宗像三女神は弁天様とされていたからである。
 池の南に赤さび色の手水鉢が置かれているが、江戸時代初期である明暦2年(1656)の文字が刻まれている。『尾張志』にある最も古い修築記録の年より7年前に奉納されたものだ。境内入口には文政2年(1819)に奉納された石灯籠など古い石造物があるが、この手水鉢が最も古いものである。

 池に沿って赤い欄干の橋を渡ると三つの社が並んで鎮座している。
 左が三社宮、中央が秋葉社、右が津島社である。三社宮は祭神は不明でこのあたりの地主神とのことだ。社殿は他の二つに比べると丁寧な造りとなっており、階(きざはし)が付けられ、鰹木の本数が多い。鎮座する地の神に敬意を表して、他より立派な造りにしたのであろうか。

 
池の中島に鎮座する宗像社

江戸時代の様子
『尾張名陽図会』

三社宮・秋葉社・津島社



不動様 天下る
 神社では時に不思議な事が起きている。
 『金鱗九十九之塵』には、「安永二年(1773)の正月、神社近くに火柱が立ち社殿が鳴動した。人々は火災の予兆として恐れ用心した」と書かれている。

 昭和になっても超常現象が起きた。54年(1979)に参道敷石にお不動様が天下り、参拝に来ていた人が金縛りにあって動けなくなった。「氏子などをいろいろな難から守る」とのお告げがあったので、敷石を切り取って安置し、新たに大聖不動明王〔坤現(こんげん)不動〕を祀ったという。

 なお、神社の境内ではないが、西側の道路を北へ進むとT字路の所に小さな社がある。これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする津島社である。





 2022/02/18