名古屋港総鎮守
築地神社
 1号地の中央付近に、広い境内にいくつもの社殿や石碑が建つ築地神社がある。これは名古屋港総鎮守として昭和13年に建立された築地神社だ。比較的新しい神社だが、鬱蒼と木が茂る境内は風格があり、これだけのものを創建した、港の人々の意気込みと思いが感じられる。




 築地神社の創建は昭和13年(1938)である。旧社格は昭和19年(1944)に村社に指定、敗戦後の20年(1945)12月に郷社に格上げされたが、翌21年(1946)2月に旧社格制度は廃止された。

◇新開地 築地……人々の拠り所
 名古屋開港によりこの地域は大きく発展し、各地から集まった人々が暮らし働く街ができていた。しかし、歴史と伝統のない新開地で、人々がともに集い力を合わせる拠り所がなかった。

 神社建立のため、海運業の千代田組を経営していた浅井作左衛門は1,000坪の土地を寄付した。
 創立費用や維持費は昭和3年(1928)に開場した9号地の千鳥ヶ浜海水浴場を経営した利益や、2号地中央埠頭から海水浴場への渡船運賃が充てられた。多くの人の協賛もあり、熱田神宮から素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御分霊をいただき名古屋港総鎮守の築地神社が創建された。

 戦争により社殿は灰燼に帰したが、32年に本殿、36年に拝殿が復興されている。この年、復興を記念して浅井作左衛門の遺徳を偲ぶ頌徳碑が境内に入った左に建立された。また41年には復興などに尽力した奧野敏治の顕彰碑もある。


浅井作左衛門翁 頌徳碑


奧野敏治翁 頌徳碑

◇名古屋港殉職者之碑
 境内に入った右手には大きな碑が建っている。「名古屋港殉職者之碑」だ。
 昭和26年(1951)に日本は講和条約を締結して占領が解除され、名古屋港管理組合が設立された。名古屋港が大きく発展しようとしていたその翌年27年(1952)に建てられた碑である。

 築港以来、震災・戦災・台風・経済の変遷など多くの困難を乗り越えて今の名古屋港を築いた関係者の功績をたたえるとともに、港湾荷役作業員や築堤工事で犠牲になった労務者への思いが記されている。


◇築地霊社の碑
 本殿左には境内社が並んでいて、築地霊社の脇には碑が建てられている。

 これは太平洋戦争の時に西築地学区内で戦死・戦災死した人の霊を弔うため、築地神社奉賛会と西築地学区社会教育委員会が造営委員会を設立し、人々の協賛により昭和26年(1951)8月に創建したとのことである。
 碑の表面には戦死・戦災死したたくさんの人の名が刻まれている。



◇たくさんの境内社など
 西の入口近くに2社並んで鎮座しているのは金刀比羅社と出雲社である。
 本殿の右に建つ斎機殿は熱田神宮の旧神楽殿である。また本殿左にある石には矢跡が見られ、築城時の落とし石と言われている。「覚明霊神」と刻んだ石碑の横にある社は御嶽社だ。
 境内左手奥には、赤さびた巨大な鉄のタンクがある。これは馬が輸送に活躍していた頃に馬へ水を飲ませた馬水槽との事である。ちなみに新宿駅東口広場には花崗岩製の馬水槽が展示されている。


金刀比羅社 出雲社

斎機殿

矢跡のある石

鉄の水槽




 2023/06/10