流れてきたお札で創建?
池鯉鮒神社
 江戸時代後期に創建されたこの神社は、「知立」の表記で昔はよく使われた「池鯉鮒」の字を充てている。当初は中川(中川運河の前身)河口付近に鎮座したが、明治終わり頃、ここへと遷座してきた。




 池鯉鮒(ちりゅう)神社の祭神は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと、神武天皇の父)で、『愛知県神社名鑑』によると天保4年(1833)の創建である。
 また、江戸時代に中川の北方から流れてきた御札を拾い上げ、今の中川橋付近にあったお宮に祀ったのが、この神社の始まりという説もある。

 池鯉鮒神社の本宮は知立神社(知立市)だが、この神社は「知立」ではなく「池鯉鮒」になっている。
 知立市のホームページには「知立は江戸時代、東海道五十三次の宿場町でしたが、その当時によくこの字(池鯉鮒)が当てられました。御手洗(みたらし)池という池に鯉や鮒が多くいたことに由来するともいわれています。」と書かれており、昔の表記を今も残しているのである。

 元は今より東の中川河口近くにあったが、明治40年(1907)頃に現在地へ移転した。
 本殿左手には秋葉社が鎮座し、境内には皇紀2600年(昭和15年、1940)を記念して建てられた「八紘一宇」の碑や「忠魂碑」が建てられている。「八紘一宇」(はっこういちう)とは、全世界を一つの家にするという意味だが、戦前に日本が「大東亜共栄圏」建設を目指して海外侵略をするにあたり、スローガンとして乱用された言葉である。


秋葉社


八紘一宇の碑


忠魂碑




 2023/11/03