五号地南部はレジャーランド
名古屋教育水族館 『名古屋今昔写真集』
水族館・南陽館・海水浴場
 明治43年に五号地が完成すると南部地域はレジャー施設がいくつも造られた。水族館、料亭兼旅館の南陽館、海水浴場である。当時の名古屋市南端で交通の便が悪かったことや、その後の埋立地増加で水質が悪くなった事などから昭和10年に姿を消した。

    水族館・南陽館   熱田海水浴場



水族館・南陽館
 いずれも山田才吉が建造した施設である。

◇水族館と南陽館
 名古屋教育水族館は明治43年(1910)4月に現在の港区竜宮町で開業し、1年間に14万余人もの見学者があった。
 9,000坪の敷地に魚類や鳥類1,200種余を展示する3階建ての本館、魚群が回遊する様子が見られる8角形の竜宮館、剥製の魚や鳥を展示する参考館があった。現在の竜宮町の名は、この竜宮館に由来している。

 南陽館は料亭兼旅館で、木造5階建ての高さが23.6m、建坪が627坪という巨大な望潮閣などを建築していた。

◇大正元年の台風で再建
 しかし大正元年(1912)9月の台風で、すでに開業していた水族館、竣工直前だった南陽館共に倒壊してしまった。
 このため南陽館は規模を縮小して3階建で再建が始まり、併せて隣に2,200坪の敷地に197坪の建物で水族館の建設が行なわれた。
 大正9年(1920)に完成して、南陽館はこの地域を代表する料亭兼旅館として知られるようになった。水族館は旧地から移転し、主な展示魚類は鯛、鯉、金魚、蟹、イナダ、鱒、鰈(かれい)、コチ、メジロ、チヒパリ(不明)、ハモ、ジヨロ(キューセン)、ゴンズイ等で、魚類以外に猿、鰐、鶴、カワウソ、オシドリ、鴨、朝鮮雉子、ホロホロ鳥、孔雀、インコ等も展示していた。

 海水の汚れが進み、昭和10年(1935)10月に両施設共に閉鎖されている。


『名古屋市街全図』 大正6年
この頃、南陽館は再建工事中


『大名古屋市全図』 大正13年

現代



熱田海水浴場
 南陽館の南、山崎川河口に熱田海水浴場が設けられた。

 『明治の名古屋』にその写真が掲載されている。
 砂浜ではなく堤防から階段で海に入った。海水「浴場」なので、お風呂屋さんと同じく、みな丸裸だ。小さな子どももいる。左手には簡素な造りの海の家らしき建物もある。

 熱田水泳協会は熱田の神戸の浜(七里の渡し周辺)で練習していたが、水質の悪化で大正7年(1918)頃からこの海水浴場で練習するようになった。


『明治の名古屋』




 2023/10/18