わずか4年
日本缶詰の養魚場
 明治の終頃、今の港区木場町北部に日本缶詰(株)の本社と養魚場があった。広大な池を造り養殖を始めたが、4年後 大正元年の台風で壊滅的な被害を被り、池は貯木場に姿を変えた。




◇日本缶詰(株) 創業
 明治35年(1902)に山田才吉などが、イワシの油漬缶詰の製造と海外輸出を目的に日本缶詰(資)を栄町で設立し、豊浜村(現:南知多町)の工場で製造を始めた。
 38年(1905)7月(36・37年とも)に株式会社に変更し、缶詰の製造と養魚を行うようになった。
 缶詰は日露戦争の時に軍用として糧秣廠に納品し、39年(1906)にイタリアのミラノで開催された万博ではイワシの味付缶詰が金メダルを獲得している。

◇5号地に養魚場
 東築地に2万坪(その後、4万坪)の養魚池を設け、本社を東築地(5号地)に移し、42年(1909)からボラ・ウナギ・鯉などの養殖を始めた。

◇台風で大被害、貯木場へ
 大正元年(1912)9月23日、この地方を強大な台風が襲い大きな被害を巻き起こした。
 5号地では2か所で延長120間(218.4m)と20間(36.4m)ほど堤防が決壊し、養魚場の魚が流出し養魚池は泥沼に変わってしまった。
 養魚場の復旧はあきらめて貯木場にすることになり、大正3年(1914)に整備が終わり熱田貯木場(後の名港貯木場北池)となり材木業者に賃貸した。養魚場はわずか足かけ4年でなくなってしまったのである。

 大正7年(1918)、日本缶詰(株)は名港土地(株)に貯木場など一切の権利を譲渡して解散している




 2023/10/14