昔は盛んだった
笠寺の製塩業
 今ではすっかり市街地になっている笠寺だが、江戸時代までは盛んに製塩が行われていた。荒浜町・塩屋町の名称は、かつて製塩地帯だった名残である。




 『笠寺村絵図』には塩浜(塩田)が記載されており、製塩が行なわれていた。このあたりの今の町名は「塩屋町」「荒浜町」で、その名残を残している。

 1800年前後に編纂された『尾張徇行記』には次のように書かれている。
・江戸時代初期に編纂された『寛文村々覚書』には、笠寺村の塩浜は15町4反6畝21歩(15.34㏊)、塩屋が27軒あると記録されている
・現在笠寺村に残っている塩浜は、5町1反4畝25歩(5.11㏊)だけである。
・昔は南野・荒井・牛毛・戸部・山崎・笠寺・本地を星崎七か村と呼び、塩浜が100町歩(99.17㏊)もありたくさんの塩を生産していた。馬に積んで石仏・古井村などを通り北へ運んだ道を塩付街道と呼んだが、だんだん製塩業はすたっていった。


『笠寺村絵図』 天保12年(1841)


現在


『尾張名所図会』 江戸時代末期
星崎の製塩風景




 2023/10/20