奪衣婆像を安置する
姥 堂
 三途の川のほとりには奪衣婆がいて亡者の衣服を剥ぎ取るという。かつての精進川のほとりにあった姥堂には、大きな奪衣婆像が安置されていた。




 精進川に架かる裁断橋の西南橋詰に姥堂があった。中央に高さ8尺(2.4m)の脱衣婆(だつえば)の木製座像が、右には千体地蔵、左には三十三観音が安置されていた。

 奪衣婆について『世界大百科事典』は次のように書いている。
「三途の川のことは,死出の山とともに説かれるが,仏説ではなく,俗説である。三途の川のほとりには衣領樹(えりょうじゅ)という大樹があり,その下に奪衣婆,懸衣翁(けんえおう)という鬼形の姥と翁がいて,姥は亡者の衣服を奪い取り,それを翁が受け取って衣領樹に掛ける。亡者の生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が異なるという。」

 姥堂は延文3年(1358)に法順道人が神宮近くにあった奪衣婆像をここに安置したのが始まりである。円福寺が管理し、天正年間(1573~92)に焼失したが慶長10年(1605)に再建された。

 『尾張名所図会』には、
「永禄年間(1558~70)に幸順僧郡が川を渡ろうとして溺死した。それを知ったこの付近に住む欲の深い老婆が衣類を剥取った。老婆は程なくして亡くなったが、欲が深く成仏できずに霊魂がさ迷っていたので、縁者が罪障消滅のためにこの像を安置した」
 という話が掲載されている。

 太平洋戦争で再び焼失し、戦後再建されている。今も奪衣婆像が安置されているが、昔のものより小ぶりである。


『尾張名所図会』



昔の奪衣婆像
『明治の名古屋』





 2023/07/02