東海道の守り神
『東海道分間延絵図』
上知我麻神社
 現在は熱田神宮の境内に鎮座する神社だが、戦前までは東海道が七里の渡しへ直角に曲がる突き当たりにあった神社である。
 境内社に恵美須社があり、江戸時代から初えびすの時は大変な賑わいとなっていた。




   上知我麻神社は延喜式神名帳に掲載されている神社で、熱田神宮の摂社である。

◇戦前は東海道の突き当たりに
 現在は神宮の正門(南門)内の西側に鎮座する境内社だが、昔は東海道が神宮と七里の渡しを結ぶ道と交差するT字路の突き当たり(現:熱田神宮南交差点南東)にある境外社であった。昭和20年(1945)3月12日の空襲で全焼し、戦災復興で境内地の一部が道路になったため、現在地へ遷座した。

 祭神は尾張氏の祖先で、宮簀媛(みやずひめ)の父である小止與命(小豊命、おとよのみこと)で、尾張の地主神・東海道の守り神といわれていた。源大夫社とか知恵の文殊(神仏習合説で文殊菩薩が本地仏とされた)とも呼ばれ、昔から多くの参拝者で賑わっていた。


『尾張名所図会』


源大夫(上知我麻神社)の御前  『張州雑志』


『東街便覧図略』

◇初えびすの賑わい
 境内には本殿の右手に大黒、左手に海神(惠美須)の社があり、毎年1月5日の午前5時から始まる初市では、福を得ようとする人がたくさん参拝に訪れた。この日は弘法大師が自ら描いたとされる福の神の版画を授与した。
 門前では五福餅や掛鮒・苧松が売られた。苧松は松にねぶか(葱)を添えて苧(麻)で結んだ物で「根深き福を待つ(松)」という縁起ものであった。『尾張名所図会』を見ると、福笹を持った参拝者や天狗のお面をせがんでいる子どもの姿などが描かれている。

 現在の初えびすは時間が繰り上がって五日の午前零時から始まる。商売繁盛・家内安全を願い、祈祷されたばかりの一番札や福熊手を求める人々が殺到して大変な混雑になる。また、知恵の文殊には合格を祈願しに訪れる人がたくさんいる。




『尾張名所図会』




 2023/03/17