俸禄売りが置いていった
ほうろく地蔵
 身近な仏のお地蔵さまには色々な伝承が伝わっている事が多い。
 旧東海道沿いに鎮座するほうろく地蔵は、焙烙売りが天秤棒のバランスをとる為に使って、いらなくなり置いていったという伝承がある。




 元々は三河の重原村(現:刈谷市)にあった地蔵である。
 商人が焙烙(ほうろく)を尾張へ売りに行こうとしたが、天秤棒で担ぐと前後の荷がアンバランスだった。このため野中に倒れて捨て石のようになっていた地蔵を拾ってバランスをとった。熱田で焙烙を全部売り、いらなくなった地蔵は捨て置いて帰って行った。

 その後、熱田の人が地蔵を見つけて安置しようとしたが、どうしても動かない。不思議に思って下の土を掘ったところ、深いところに台座と思われる角石があった。台石を掘り出して地蔵を安置して祀ったのが、ほうろく地蔵である。

 なお、『尾張名所図会』などによると伝馬町の中程道路南側に露天で立っていると書かれており、今の場所へは昭和24年に源大夫社(上知我麻神社)が神宮境内へ転出した後移転してきた。
『熱田図』 安政(1853)以前新訂




 2023/03/27