東海地方最大
断夫山古墳
 堀川の東岸に全長150mという、東海地方最大の前方後円墳がある。
 誰が葬られているのかの伝承もなく、うっそうと茂る樹木に永い年月を感じさせられるが、かつてはその偉容を誇示していた。大きな古墳は、造られた当時この地域が持っていた大きな政治力・経済力を今に伝えている。

    東海地方最大 断夫山古墳   春の一日 のどかで雄大な眺望



東海地方最大 断夫山古墳
 『新修名古屋市史』では断夫山古墳について次のように説明している。

 「断夫山古墳は、全長150mの前方後円墳で、後円部の直径が80m、高さが13m、前方部の幅が120m、高さが16mを測る。墳丘は3段築成で、西側のくびれ部に25m×17mの方形の造り出しをもち、周濠がめぐる。
 墳丘には葺石と埴輪が認められ、……(中略)……5世紀末から6世紀頃の時期が考えられるが、零細な資料のため、これによる時期比定には不安がある。このように、東海地方最大といわれる断夫山古墳について、わかっている事実は少ない。」


『新修名古屋市史』
 少し南にある白鳥古墳は「6世紀初頭を遡ることはない」と書かれているので、断夫山古墳は白鳥古墳と同じ頃か少し前の築造である。



春の一日 のどかで雄大な眺望
 『尾張名所図会』は、断夫山のことを、次のように記している。

 「旗屋町の西の方にありて、陵墓の形したる丘山なり。南高く北卑(ひく)し。高貴の人の廟なるべけれど、伝うせて誰といふ事をしらず。あるいは白鳥の陵これなりともいへり。これまた慥なる証説なし。
 この山は常に人の入る事を禁ずれども、三月三日には登る事をゆるして、諸人遊覧の興をなさしむ。折から熱田潟の汐干の風景、眼下に見え渡りて殊に佳なり」

 貴人の古墳であるという説明に続いて、断夫山は普段は登ることが出来ないが、3月3日だけ許されていると書かれている。

 『尾張名所図会』や『尾張年中行事絵抄』には、春の一日を断夫山に登り楽しむ人々の姿が描かれている。
 新緑の木々が鮮やかな断夫山に登ると、西南には遮るものがない眺望が開けている。折しも春の大潮、広大な干潟が現れ、そこには潮干狩りでもしているのであろうか、たくさんの人が豆粒のように見えている。
 断夫山は、のどかで雄大な景色を見る展望台としてうってつけの場所であった。入山禁止の場所を一日だけ解放するとは、ずいぶん粋な計らいである。


『尾張名所図会』


『尾張年中行事絵抄』




 2021/12/10